2012年5月27日日曜日

三橋貴明・中野剛志 vs ケインズ

相も変わらず、デマを流し続ける三橋貴明や中野剛志の両名ですが、いい加減にしてほしいですねぇ。。




昭和40年に特例国債法が成立し、以来、国家の借金が膨れ上がって、現在は国債発行残高のみで約1千兆円(年金債務や財政投融資の焦げ付きが別途あり)。
借金返済のための借金も重なり、今や毎年の国債発行額は、税収を上回っています。

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_yosanzaisei20111224j-08-w370



このような状況下で、「国債を刷れ」「日銀が直接引き受ければいい」と世論を煽る三橋貴明、中野剛志の両名ですが、気は確かでしょうか?





〈三橋貴明「高校生でも分かる日本経済の凄さ!」彩図社より〉

『日本を見ますと、国債の全ては日本円建て、つまり自国通貨建てです。国債を販売した相手は、ほとんどが日本の金融機関、もしくは日本の個人投資家です。外国人の日本国債ホルダーは、わずかに6・4% (2009年3月末)でしかありません(こんな超低金利の日本国債を買うなど、奇特な外国の方がいるものです)。その上、日本国債の金利は、すでに十年以上もの長期に渡り、世界最低水準を維持し続けています。
すなわち、日本は「政府が財政破綻するための条件」を、 一つたりとも満たすことができていないのです。マスメディアの皆さんにはお気の毒ですが、日本政府の財政破綻など、今後千年間くらいは起きないでしょう。
同時に、日本政府の借金を日本国民の税金で返す必要など、全くありません。そもそも借金の残高を減らす必要がないのに、なぜわぎわぎ返済しなければならないのでしょうか。しかも、国民の血税を使って。』(38頁~39頁)


日本国内で、「財政再建― 財政再建!」と叫んでいる人たちの、経済オンチぶりは凄いものがあります。(42~43頁)


⇒要するに、「借金を減らす必要はない」らしいw




〈中野剛志「国力とは何か」講談社現代新書より〉


『ケインズ主義的な財政政策は、政府による積極的な支出のことであるが、その費用も使益も、国民国家全体によって共有される。また、金融政策は、国民通貨の操作を通じ、国民生活全体に影響を及ぼす。ケインズ主義政策の発動は、階級差を越えてネイション全体に影響を及ぼすことで、需要のみならず、国民意識をも刺激するのである』(144頁)

『内国債の場合、政府が財政破綻する国債の債務不履行に陥る)ことはありえない。仮に将来の課税によって公的債務を返済しない場合ですらも、政府は借り換えを続けていけばよいのであって、全額返済して債務をなくす必要はないのである。なぜなら、政府(国家)は、民間企業や個人とは異なり、永続してなくならないと想定されているからだ。
(中略)
この内国債と外国債の違いをもたらしているものこそ、「国民」の概念にはかならない。民間企業や個人の負債や(外貨建ての)外国債とは違って、財政破綻のリスクから自由であるという特権を内国債に与えているのは、国民なのだ』(187頁~189頁)


『政府債務が内国債である場合は、財政破綻はあり得ない。それゆえ、健全財政論者のように、累積債務残高の大きさそれ自体を問題視することは無意味である』(190頁)

⇒内国債なら安心なんだって!



では、総需要管理政策の元祖・J.M.ケインズの著書には何て書いてあるんでしょうかね?


〈ケインズ全集より〉

『政府がインフレーションによって支出をまかなう場合、その国の国民は課税を免れるように言われるのは普通だが、われわれは、これが正しくないことをすでに述べた。紙幣の印刷により徴収されるものは、ビール税や所得税と同様、国民から徴収されるのである。政府の支出を国民が支払うのである。補損されぬ赤字というようなものは存在しない。』(ケインズ全集4、53頁)




『ある国々では、現存する国内債の負担から、遅かれ早かれ、平価切下げが不可能となる。十分な説明の例をフランスに求めることができるであろう―― フランスはあらゆる種類の絶対主義の中心であり、また、そこから遅かれ早かれ生ずる転覆の本である。この再建不能の状態は次のようなものであった。
一九二二年末のフランスの国内債は、外債をまったく除外して二五〇〇億フランを超えるものであった。翌年度の予算に計上された公債は、政府保証付の復興会計公債と合わせると、 一九二三年末までに三〇〇〇億フラン近くにのぼるかもしれない。この公債の利払いその他に、毎年一人〇億フランを必要とする。 一九二三年暫定予算における正常歳入総額は、約二三〇億フランと推計される。つまり一九二三年初頭現在の価格で測れば、税収のほとんどすべてを公債の利払いが、たちまち吸収してしまうのである。一般予算の他の財政支出項目(戦争恩給と将来の復興費を除く)は年額一二〇億以下にはならぬから、一九二三年以後の特別予算の支出はドイツが負担する〔賠償金を充当する〕という、ありうべからざる仮定をしても、収支均衡させるためには、税収を毎年三〇.ハーセント永久的に増大しなくてはならないことになる。しかし、ポンドに対してフランを(例えば) 一〇〇フランまで下落させるなら、一九二二年をわずかに上まわるフランスの実質所得からの控除により、一般予算を均衡させることができる。
このような状況の下では、通貨のいっそうの減価という巧妙な援助なしですますことは困難であろう。そこで、フランを以前の平価まで回復させよと、まだ大まじめに論ずる人たちに対しては何と言うべきだろうか。そうなると、すでに耐えがたい公債保有者の要求は、約三倍に増大するのである。これにフランスの納税者が従うはずがない。かりに、フランが奇跡的に旧平価を回復しえたとしても、それは、そこには留まることができぬであろう。税収不足のため生ずる新たなインフレーションの結果、さらに下降していくことになろう。しかも、私は、フランスのすべての外貨を除外し、また一九二三年以降の特別予算をドイツが負担する〔賠償金で支払う〕との仮定を設けたが、現在の予想ではこれは無理と思われる。これらの事実だけみても、フランを以前の平価に回復させることは確実に不可能である。
フランスは、まもなく、増税と支出削減の妥協点を見出し、公債保有者に対する負担を軽減しなければならない。
フランス人は今までと同様、減価を――ドイツの「悪意」とロンドンとニューヨークの財政的マキアプェリズムに帰して――、フランス大歳省による非難から容易には免れがたい新設の資本課税に比べ、はるかに保守的で正統的であり、少額貯蓄者の利益となると考えるものと、私は思っている。
一方、財産を得たり喪失したりする景気の好・不況から目を転じて将来を展望するならば、長期的なフラン安定要因は、投機や貿易収支ではなく、またルール占領の冒険の結末でもなく、フランスの公債保有者に対する支払いとして、フランスの納税者が自分から徴収することを承諾する勤労所得の割合なのである。フラン為替の相場は、公債保有者のもつフランスの商品価値が、その国の習慣と意識からみて妥当とみなされる国民所得の割合に低落するまで、低落し続けるであろう。』(ケインズ全集4、59頁~60頁)





『他の新興宗教と同じように、レーニン主義はその力を、大衆からではなく、ごく少数の熱狂的改宗者から引き出しているが、この改宗者は、その熱意と〔宗教的〕不寛容によって、各人が一〇〇人の宗教無関心者に匹敵しうるほどである。
(中略)

レーニン主義には、伝道者的な熱情と統一宗教を目ざすような野心が満ちあふれている。しかし、レーニン主義は、偽善者に率いられて迫害と宣伝を行なっている少数の狂信者の信仰であるということは、結局のところ、レーニン主義は宗教であって、たんなる政党ではないのであり、またレーニンはマホメット的であってビスマルク的ではないということ以外の何ものでもない。』(ケインズ全集4、59頁~60頁)





ケインズだって、内国債だから財政再建は不要だなんて、言っていません。


三橋貴明も中野剛志も、暴発直前の巨額の財政赤字を無視して、「国債を刷れ」「財政出動をせよ」なんて言っていますが、頭大丈夫ですかね?


ケインジアンでもない、ましてや古典派でもないという経済理論は、宗教そのものですね。
かつてのレーニンに率いられた、ロシアの共産主義革命にそっくりです。




私(ブログ主)は総需要管理政策という、私有財産の国家による再分配を唱えるケインズ自体を嫌悪しますが、
ケインズでさえ、三橋・中野理論とは全然違うことを言っていますね。


合掌・・・。


麻原彰晃マーチ(歌:麻原彰晃)




三橋貴明編(歌:三橋貴明&不倫相手の愛人)








税金泥棒



2012年5月20日日曜日

中野剛志亡国論 8 左翼学者エマニュエル・トッドへの心酔

中野剛志が、その著書の中で頻繁に取り上げる「エマニュエル・トッド」という人物について、皆様はどの程度ご存知でしょうか?

〈中野剛志「TPP亡国論」(集英社新書)より〉
 ・『同じような視点から、フランスの著名な人類学者エマニュエル・トッドも、次のように論じています。(中略)トッドは、このように主張し、保護貿易を擁護するのです』(140頁)
・『フランスの人類学者エマニュエル・トッドといった優れた知識人たちも、グローバル化は、健全な民主主義の基盤である安定した社会を崩壊させると警告を発しいています』(229頁)。


私は中野の「TPP亡国論」「国力とは何か」などのインチキ本を読むまでは、全く知りませんでしたが、調べてみると、限りなく左翼臭が漂う人物であると感じました。


出版社

このエマニュエル・トッドという人物の邦訳書は、藤原書店という、極左出版社からしか出版されていません。
藤原書店のHPをご覧頂ければ分かりますが、この書店(出版社)が「河上肇賞」なるものを主催しています。

藤原書店HPより
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/main/kawakami_prize/

『河上肇の業績に該当する領域の作品で、狭い専門分野にとどまらない広く今日性を備えた視野に立ち、かつ散文としてもすぐれた仕事を顕彰して、将来の飛躍を支援することにより、ゆくゆくは多くの優れた書き手が鎬を削る場を生み出すための一助となればと考えております』


河上肇って、、あの近衛文麿の恩師の筋金入りの共産主義者です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%B8%8A%E8%82%87
1932年、河上自身が日本共産党入党して、その地下運動に参加する。入党後の仕事は、機関紙「赤旗」の編集を助け、政治パンフレット作りに参加し、その執筆にあたることだった。この間にした仕事で最も知られているのは、コミンテルンが発表した32年テーゼ(日本共産党の基本的活動方針)をいちはやく入手して翻訳し、それを党名の本田弘藤名義で「赤旗」特別号に発表したことである』

⇒要するに、コミンテルンの工作員であった河上肇を顕彰しています。
この出版社は、そのうち、麻原彰晃賞や、金日成賞なども主催するのでしょうかね??

※ちなみに、この河上肇賞の選考委員に田中秀臣(上武大学教授)、川勝平太(静岡県知事、民主党員)らが名を連ねています。思想本籍がミエミエですね。







エマニュエル・トッドの著書より
(⇒どう考えても、極左なんですけど。。。


『それまでは、私は家族の伝統によって、私は思春期には共産党の党員であったのです。私の家は左翼で、特に考えなくとも、自然な形で左翼でありえたのです』(エマニュエル・トッド「世界像革命」藤原書店122頁)


『今日のドイツ、スウェーデン、日本は、それぞれ非常に豊かな国であり、高齢者が多く、大変成熟した社会です』(エマニュエル・トッド「世界像革命」藤原書店127頁)

⇒夫婦別姓や高福祉により共同体が破壊され、亡国へ突っ走るスウェーデンを礼賛


・スウェーデンの離婚率は約45~50%とも言われています。
・「スウェーデンでは結婚は契約の一つだ」「離婚は日常茶飯事で二組に一組が離婚し、夫婦のあいだには思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬といった感情は、まずない。だから夫婦関係は猛烈なストレスとなる。」(武田龍夫「福祉国家の闘い」146頁)


外務省HPより
http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/sweden.html

・スウェーデンの2009年の統計によれば、犯罪として認知された記録だけでも、約131万件の犯罪が報告されています。統計のとり方は国ごとに相違があり、単純比較はできないものの、人口比約13倍の日本の犯罪件数(刑法犯)が、約170万件(2009年)ですから、スウェーデンの犯罪発生率は日本の7倍以上に及ぶことになります。

・性犯罪・・・強姦件数は年々増加傾向にあり、毎年、過去最高を更新しています。


「離婚率約5割」「犯罪発生率は日本の7倍以上」「強姦件数は毎年、過去最高を更新」
⇒これが、エマニュエル・トッドの言う、「成熟した社会」らしい。
まるで「北朝鮮は地上の楽園」みたいな話ですね。




フランス革命は このよう階級対立と国民形成が高いレベルで結合された 最も完璧な例を提供する。このとき 国民の統一は、外見上、一つの階級に対して作られた。第三身分が、貴族制を廃し、フランス人民となった。貴族の廃止は、最初は象徴的なものであったが、やがて現実となり、国民形成を実現した。もう一度言うが、分割と統一は、歴史的・社会的過程の中で補い合い、構造化する共同的信念へと入っていくのである』(エマニュエル・トッド「経済幻想」藤原書店、338頁)



『フランス大革命の際に啓蒙思想家が説いた自由と平等の思想は、パリ盆地のブルジョワや小商人や農民には非常にわかり易かったのですが、それは彼らの家族生活が自由と平等に基づいていたからです。それに対してこの自由・平等の価値は、直系家族地帯の住民には全く理解できないものでした。フランス大革命期の歴史を繙いてみると、大革命の合言葉たる自由・平等は、フランスのシステムの中心部では全く問題がなかったのに対して、王党派的気質の周縁部では受け入れられず、武力を持って押し付けられた、ということが分かります。フランス大革命とは凄まじい内戦でもあり、それを通じて中心部が周縁部を制圧したのです』(エマニュエル・トッド「世界像革命」藤原書店98頁)




⇒フランス革命の実態(大虐殺)と真相(ルソーの思想の蔓延)を隠蔽


フランス革命の真実は、こんなものでした

死者二〇〇万人。これが、大革命と帝政期における諸戦争でフランス一国が払った代償だったようだ。
二〇〇万人のうちの大部分は若者であり、彼らは子孫を残さずに死んだのである。彼らとその子供や孫として生まれるはずだったフランス人がいなくなったことは、この時代の人口動態全体に影を落とし、人口衰退を招くことになる。
二〇〇万人というのは、史上最も死者が多かった二つの戦争、すなわち第一次世界大戦と第二次世界大戦でのフランス人の犠牲者を合わせた数にほぼ匹敵する。しかし、この犠牲者数が人口約二七〇〇万人の国民にぶりかかるときには、四〇〇〇万人の国民にかかるよりずっと重大な意味を持つのである』(ルネ・セディヨ「フランス革命の代償」草思社、12頁)


ルソーが彼の世代に及ぼした影響は、いくらこれを誇大に言っても言い過ぎることはない(クリストファー・ドウソン「革命の神々」九州大学出版45頁)



「フランス革命を賛美する保守主義者」って、意味不明ですね。
暴力革命を保守したいという意味なんでしょうかね??

これが、中野剛志が心酔するエマニュエル・トッドの本性ですから、中野の正体もバレバレですね。

礼節ある日本人とは思えませんね



ご参考:エドマンド・バーク保守主義さんのブログより


悪徳の極み、フランス暴力革命

http://burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/2011-10-29