2012年3月1日木曜日

養子制度は極左の迂回戦術 #女性宮家

最近、やたら極左勢力による"女性宮家"問題が煩くなってきました。


東京新聞(2012年3月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012030102000034.html
『女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設を検討している政府の「皇室制度に関する有識者ヒアリング」が二十九日、首相官邸で始まった。意見を述べた今谷明帝京大特任教授(日本中世史)、ジャーナリスト田原総一朗氏は現行の皇室典範のままでは皇族の減少が懸念されるとし、皇族の活動維持のため「女性宮家は必要」との見解を示した。』



現政権の結論は「女性宮家創設」と決まっているものの、アリバイ的に「有識者」なるものの意見を聞き、「民意によって決めた」とでも抜かす魂胆でしょう。

皇統に関して、民意など関係なく、ただ、過去の先例・慣習に則り、皇統を存続させていく義務以外、私達には無いのですが、極左勢力にとっては、様々な詭弁を弄しながら、皇統断絶への道筋をつけたいのでしょう。

特に米ソ冷戦終結後、非常に顕著なことですが、極左勢力は、従来の暴力革命路線から大きく方針転換し、あたかも国家の繁栄と存続を願う素振りをしながら、内実は着々と国家破壊・共産革命へ向け、工作活動を行なってきています。

「平等」「格差是正」「弱者救済」「民主主義」「人権」、あるいは「愛国」「保守」を語りながら、内容を調べてみると、国家破壊へ向けた猛毒を含んでいることが多々あります。


この女性宮家問題は、その典型例でしょう。

(ご参考:オノコロさんのブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17

「女性宮家」=皇室テロ 皇室に「男女共同参画」という共産革命が迫る

旧宮家復帰の基礎知識 女性宮家なんかトンデモない

ひと目でわかる、皇室の「直系」と「傍系」 旧皇族復帰・女性宮家阻止

女性宮家問題まとめ記事 「解散総選挙こそ皇統護持の道」


一方で、女性宮家創設に反対する側の人達の主張に、重大な欠陥があると思われますので、誠に僭越ではありますが、指摘をさせていただきたいと思います。


「養子論」について


(安倍晋三・元首相の見解)
文藝春秋・2012年2月号より一部引用

『ただし、敗戦後、長きにわたって民間人として過ごされた方々が急に皇族となり、男系男子として皇位継承者となることに違和感を持つ方もおられよう。そうした声が強ければ、皇籍に復帰された初代に関しては皇位継承権を持たず、その次のお子様の代から継承権が発生するという方法も考えられる
あるいは、すでに国民に親しまれている三笠宮家や高松宮家に男系男子の養子を養子を受け入れ、宮家を継承していく方法もある。現行の皇室典範では、皇族は養子をとりことができない前提になっているが、その条文だけを特別措置によって停止させればよい』(文藝春秋2012年2月号99頁)


(青山繁晴氏の見解)

『ぼやきくっきり』より一部引用(2011年1月11日ニュース・アンカー)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1127.html
『皇位継承問題を解決するには、旧宮家の皇室復帰。それから、皇室の女性が旧宮家の男性を養子に迎える



⇒要するに
①旧皇族方に皇籍復帰していただく(⇒正論中の正論)
②旧皇族方の男系男子に限り、養子をもらう

の同時進行での検討ということです。


誤解なきよう申し上げますが、安倍元首相、青山繁晴氏のご両名の人格面においては、尊敬申し上げております。
しかし、この「養子論」は毒薬(迂回戦術)だと確信しています。
(養子論は、おそらく、小堀桂一郎氏、八木秀次氏らが極左学者に汚染された結果の主張が下敷きになっている)

先にも申し上げたとおり、極左は迂回戦術陽動作戦により巧みに我々国民の中に浸透してきます。日本国民の良心や愛国心を巧みに操り、結果として墓穴を掘らせるような、極めて巧妙・悪質な手法を用います。

皇統を護持するには、かつて、井上毅らが、法(慣習)を「発見」し、皇統護持のためそれを明文化した旧皇室典範に倣うのが常道であると考えます。我々の理性で判断するのは極めて危険です。

その旧皇室典範では、養子論は、どのような位置づけだったのでしょうか?


旧皇室典範
第四十二条 皇族は養子を為すことを得ず(皇族は養子を取る事が出来ない)


旧皇室典範義解
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/tempan_gikai.htm
『慎んで思うには、皇家に養子・猶子の習いがあるのは、蓋し、嵯峨天皇の皇子である源定(みなもとのさだむ)を淳和天皇の子とし[時の人は、定に二父母ありといった]、源融(みなもとのとおる)を仁明天皇の子とされたのに始まる。そして未だ養子・猶子の名称はない。皇族の子孫で天皇の養子となったのは、融(源融)の孫の堤茂(さだしげ)を光孝天皇の養子とされたのに始まる。猶子の名称は神皇正統紀に亀山院天皇の姪の煕仁(伏見天皇)を猶子にして東宮にすえられたとあり、及び職原鈔に「忠房親王を後宇多院の猶子となす」ちあるのが始とする。猶子とは、蓋し皇子に準じる義である[大日本史に清仁親王(すみひとしんのう)と弟の昭登(あきのり)等は、帝(花山帝)が剃髪した後に生まれた。帝はもっとも清仁を愛し、左大臣・道長(藤原道長)に託して皇子を冷泉上皇の譜子に準じ、勅して清仁を第五子とし昭登を第六子として、両者を親王とした]。凡そこれらは皆、中世以来の沿習であり、古の典例ではない。本条は宗系紊乱の門を塞ぐのである。その皇猶子の事に及ばないのは、皇養子と同列であるからである。』




(養子制度の問題点まとめ)

・過去の先例を破った皇位継承を前提とする皇室典範の実質的な改正(改悪)は、皇室典範を「どのように変えても良い」との前例となり、極左に更なる皇室典範改悪の口実を与えることになる。

・旧皇室典範では養子制度の危険性を見抜き厳格に禁止されている(「宗系紊乱の門を塞ぐ」ため)

過去、養子で皇位が継承された事例は一つもなし(天皇が養子をとられた事例は若干ありますが皇位継承はしていないし、皇位継承が前提となった養子もない)
⇒これでもし養子に皇位継承権が与えられたとなると、過去の慣習を破ることになる
過去2600年以上に及ぶ慣習を破った皇位継承
⇒事実上の皇統断絶
⇒極左による皇統終了キャンペーン
正真正銘の皇統断絶


他にも理由はありますが、養子制度には、断固反対をします。

旧皇族方の皇籍復帰と、皇籍復帰された皇族への皇位継承権の付与以外に、伝統に即し、かつ皇統を維持する方法はありません。

(養子制度の問題点について、複数の政治家の事務所へメールを送りましたが、何の反応もなく、インターネット上でもメディアでも言及がないことから、やむなく掲載させていただきました)


なお、上記の養子制度の問題点は、

『皇室消滅』(中川八洋、渡部昇一共著、ビジネス社、113~127頁)

『皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉』(中川八洋著、ビジネス社、150~163頁)

の内容を、ブログ主の判断で一部抜粋し、最重要部分を、まとめさせて頂きました。
大変拙い表現、また、養子論の問題点が網羅しきれておりませんことを、中川八洋・筑波大学名誉教授、渡部昇一・上智大学名誉教授にお詫び申しあげます。