2012年10月18日木曜日

三橋貴明 "負け犬の遠吠え"

かつて、三橋貴明が小黒一正・一橋大学准教授にフルボッコにされ、見るも無残な動画をご紹介しましたのは、当ブログの読者様なら、ご存知のことでしょう。

三橋貴明への退場勧告 2

http://megu777.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html


三橋貴明が、「喉元をすぎれば熱さを忘れる」を見事に体現し、自爆しておりますので、お笑いネタとしてご紹介しましょう。

三橋貴明のブログより⇒「実質的デフォルト(笑)」
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11378215687.html

(引用はじめ)

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新潮の記事を読んで笑ってしまうのは、藤巻氏も小黒氏も「財政破綻」について、当初は「政府のデフォルト」と定義して話をしていたくせに、後半は、
「日本国債のデフォルトは日銀が大量にお札を刷って買い上げれば回避できる。しかし、こうしたやり方は過去の事例を見ても間違いなくハイパーインフレーションを起こしているのです」(藤巻氏)
 と、例により「現実」も「過去の事例」も見ていないハイパーインフレーション論(インフレ率13000%)をわめきたて、挙句の果てに藤巻氏自ら「日本国債がデフォルトしない」ことを認め、小黒氏に至っては、
「内国債だからデフォルトしないというのはナンセンスです。日本の戦後直後のインフレもそうでしたが、インフレによる債務削減は"実質的デフォルト"ということもできます」(小黒氏)
 と、
「ちょ、お前・・・。インフレによる国債の実質的価値削減が『実質的デフォルト』ということは、世界中のほとんどの国が『実質的なデフォルト』に陥っているということじゃないか。頭、大丈夫か・・・・本当に・・・・」
 などと、冗談でも何でもなく頭の中身を心配したくなるような言説を平気で口にしているところです。(というか、恥ずかしくないんですかね、マジで)

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(引用終わり)

ちなみに、国際会計基準では、ハイパーインフレの定義を次のように定めています。

http://www.iasplus.com/en/standards/standard28


The Standard does not establish an absolute rate at which hyperinflation is deemed to arise - but allows judgement as to when restatement of financial statements becomes necessary. Characteristics of the economic environment of a country which indicate the existence of hyperinflation include: [IAS 29.3]
the general population prefers to keep its wealth in non-monetary assets or in a relatively stable foreign currency. Amounts of local currency held are immediately invested to maintain purchasing power;
the general population regards monetary amounts not in terms of the local currency but in terms of a relatively stable foreign currency. Prices may be quoted in that currency;
sales and purchases on credit take place at prices that compensate for the expected loss of purchasing power during the credit period, even if the period is short;
interest rates, wages, and prices are linked to a price index; and
the cumulative inflation rate over three years approaches, or exceeds, 100%.


(日本語)

http://shiodome.co.jp/ifrs/ias29/



要するに、概ね3年間で累積100%程度のインフレを、実務の世界では「ハイパーインフレ」と定義しています。

ケーガンの定義する「13000%」は、単に「ケーガンがそう言っていた」程度の話。

この程度の思考ができない、あるいは恣意的にすり替えているのが三橋貴明。


しかし、本当に無神経ですね。通常、「無神経」というのは、「相手の気持ちを考えずに身勝手な言動を行う」というようなことを意味しますが、三橋貴明の場合は、文字通りの無神経(=神経が無い、あるいは、重要な神経が数本切れている)なのでしょう。

恥とか、良心の呵責とか、道徳というものが全くないのでしょう。

ご参考
三橋貴明が語る"国民の教養"---国旗・国歌編

http://megu777.blogspot.jp/2012/02/blog-post_25.html


君が代斉唱後、日の丸、菊の御紋章の前で、
コスプレ姿で愛人とカラオケを熱唱する三橋貴明
(しかも出馬した参議院選挙の約一ヶ月前)




三橋貴明が、民族系思想宣伝配信会社・チャンネル桜で「明るい経済教室」というルソー、マルクス主義に染まった動画を垂れ流していますが、まるで、かつての朝日新聞のようです。


朝日新聞 1975年4月19日

カンボジアでのポル・ポト派による大虐殺(国民の3~4人に一人は殺された)を「優しい社会主義」と大絶賛



(引用はじめ)
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カンボジア解放勢力のブノンペン制圧は、武力解放のわりには、流血の惨がほとんどみられなかった。
入城する解放軍兵士とロン・ノル政府軍兵士は手を取り合って抱擁。平穏のうちに行われたようだ。
しかも、解放勢力の指導者がブノンペンの"裏切り者"たちに対し、「身の安全のために、早く逃げろと繰り返し忠告した。これを裏返せば「君たちが残っていると、われわれは逮捕、ひいては処刑も考慮しなければならない。

それよりも目の前から消えてくれた方がいい」という意味であり、敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさに あふれているようにみえる。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、 新生カンボジアは、いわば「明るい社会主義国」として、人々の期待にこたえるかもしれない。

カンボジアは内戦中も、秘密警察的な暗さがなかった。ロン・ノル政府側の要人も、警備にはさして関心を払っていなかった。 政府主催の公式レセプションでも検問所はなく、招待状なしでも要人にやすやすと近づくことができた。 これでよく事件が起きないものだと不思議に思ったが、南国的明るさとは暗殺とはそぐわないのかもしれない。

ロン・ノル政府は七三年春、王族やその関係者を逮捕したことがあった。彼らの自宅には監視のため憲兵が派遣されたが、 外来者を呼びとがめるわけでもなく、暇をもてあまして昼寝ばかりしていた。
そして、しばらくするうち、憲兵はいつの間にか現れなくなった。逮捕された人たちは起訴もされず、罪状不明のまま釈放された。 拘留中も差し入れ、面会自由。酒も飲み放題だったという。

ハン・ツク・ハク首相(当時)の命を受けて、解放勢力側と接触をはかろうとした人物をたずねたときも、 あまりに開放的なのでびっくりした。秘密的なにおいはまったくなく、こうままにどんどん資料を見せてくれた。 その素朴さと明るさは類がない。

カンボジア王国民族連合政府は自力で解放を達成した数少ない国の一つとなった。
民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。
しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式からみて、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか。(和田前ブノンペン特派員)
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(引用終わり)


本屋の店員に、平積みされている三橋貴明の本が実際に売れているのか聞きましたが「少なくとも私は買った人を見たことがない」と言っていました。

土建屋、農協関係者、日本経済の破壊を目論むロシア人やシナ人が、裏で大人買いしているんですかね??

ところで、ルーピーとの関係について、まだ回答がありません。


三橋貴明 - 国家ビジョン研究会 - 鳩山由紀夫の闇

http://megu777.blogspot.jp/2011/12/blog-post_17.html