2013年10月27日日曜日

「従軍慰安婦」 辻褄が合わない嘘つき婆さんの証言

久々のブログ更新になります。 安倍晋三首相がいわゆる「従軍慰安婦」問題で、口ごもっている様子なので、「従軍慰安婦は歴史のでっちあげ」であることを、微力ではありますが拡散し、大陸の病的な方々に反撃したいと思います。

こんな単純な話も分からないなんて、かなりヤキが入っているようですね。


ナヌムの家歴史館・・・朴玉蓮ハルモニ

http://kmitsuba.blogzine.jp/blog/2005/11/post_835e.html

(以下転載)


1919年(戸籍上1920年)4月20日、全羅北道茂朱(チョルラプットムジュ)郡で、農業を営む両親のもと、6人姉妹の3女として生まれる。普通学校に2年生まで通ったが、学校に行くのが嫌でやめ、その後夜学でハングルを学んだ。

16歳のとき、貧しい家に嫁いだものの逃げ帰り、18歳、(1936年)で、再び金持ちの家に後妻として入る。夫は家柄が良く財産もあったが、非常に嫉妬心が強く、酒が入ると殴られた。2年後の20歳のときに息子を産んだ。夫は2年間、日本に出稼ぎに行って帰ってくるとさらに猜疑心も酷くなっており、虐待を受けたあげくには、息子を取り上げ、業者にハルモニを売り渡した。23歳になった年(1941年)の10月頃だった。

ソウルにある紹介所で慰問団の募集の噂を聞いて、夫が受け取った身売り金を早く返し、強制的に別れさせられた幼い息子と一緒に暮らしたい一念で志願した。野戦病院で軍人たちの服を洗濯したり、負傷軍人を看病したりする仕事で、およそ3年も働けば借金は返せるとのことだった。 ソウルを出発した後、釜山を通って下関まで行き、そのまま軍艦で1ヶ月半かけて到着したのが南太平洋最南端の敵戦地パプア・ニューギニアのラバウルだった。

(転載終わり)


 日本軍がラバウルを占領したのは、1942年1月23日(今村均大将らの指揮のもと、ようやく基地らしくなったのは1942年の年末)。

それまではオーストラリアが統治。単純に日数計算をしただけで、全く辻褄が合いません。

ラバウルと言えば、坂井三郎さんらの「ラバウル航空隊」で世界的に有名ですが、坂井氏の手記にも、一言も「性奴隷」など出てきません。
なぜ、こんな子供でも分かる嘘話が「世界の共通認識」になってしまうのか?
カウンタープロパガンダ能力ゼロの我が国の民族派(国会議員含む)などには、一切期待できないので、簡単な動画等を、英語はもちろん、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語等で作って拡散する必要を感じるこの頃です。 

世界的には、当然ながら「大空のサムライ」坂井三郎氏の方が遥かに高名であるため、坂井氏の手記から若干抜粋させていただきながら、このような悪徳老婆に天誅を下したいと思います(その婆さんは、もう死んでるけど、、、)