2013年2月6日水曜日

三橋貴明・中野剛志 vs 高橋是清 第2ラウンド

売文業と世論のミスリードに血道を上げる三橋貴明と中野剛志ですが、はっきり言って、騙される続ける側にも問題があります。

最近はTwitter等を見ていても、『国債を刷って~』 という出鱈目な話は随分と減った気がしますが、まだ、少なからずいるようなので、殺虫剤を撒いておきたいと思います。


〈三橋貴明「高校生でも分かる日本経済の凄さ!」彩図社より〉

日本政府の借金を日本国民の税金で返す必要など、全くありません。そもそも借金の残高を減らす必要がないのに、なぜわぎわぎ返済しなければならないのでしょうか。しかも、国民の血税を使って。』(39頁)

『日本国内で、「財政再建― 財政再建!」と叫んでいる人たちの、経済オンチぶりは凄いものがあります。』(42~43頁)


〈中野剛志「国力とは何か」講談社現代新書より〉

『内国債の場合、政府が財政破綻する国債の債務不履行に陥る)ことはありえない。仮に将来の課税によって公的債務を返済しない場合ですらも、政府は借り換えを続けていけばよいのであって、全額返済して債務をなくす必要はないのである。なぜなら、政府(国家)は、民間企業や個人とは異なり、永続してなくならないと想定されているからだ。
(中略)
この内国債と外国債の違いをもたらしているものこそ、「国民」の概念にはかならない。民間企業や個人の負債や(外貨建ての)外国債とは違って、財政破綻のリスクから自由であるという特権を内国債に与えているのは、国民なのだ』(187頁~189頁)

『政府債務が内国債である場合は、財政破綻はあり得ない。それゆえ、健全財政論者のように、累積債務残高の大きさそれ自体を問題視することは無意味である』(190頁)


三橋貴明も中野剛志も、財政破綻の可能性は無いから、国債発行残高はどこまで増えてもいいんだって!


こういう人物を「先生」と拝むのは、麻原彰晃を「尊師」と呼んでいた上祐ナントカたちと同類に思えてしまうのは、私だけでしょうか?










昭和財政史Ⅰより

第六十八回帝国議会における大蔵大臣 高橋是清の財政演説
昭和十一年一月二十一日




(転載はじめ)
 -----
一度公債政策にして行詰りを生ずることあらんか、国防産業等国家須要の施設も、之を継続実施することを得ざるに至るのであります。よって昭和十一年度予算の編成に当っては、 一面に於て歳出は之を緊要已むを得ざるものに止むると共に、他面歳入の増加に付ても工夫を致し、成るべく公債発行額の増加を避け、以て今後に於ける公債政策の円滑なる運行を図るに努めた次第であります。
前述の如く公債発行額の増加は出来得る限り之を避くべきでありますので、昭和十一年度に於ては歳入の自然増収見込額を目安として、其一般会計公債発行額を前年度予算計上額より減少せしむるに努めたのであります。(438貢)


 

(注:公債発行は極力避けるべきだと主張する高橋是清)




中略

昭和七年以来政府が日本銀行引受の方法に依り、発行致しました公債は巨額に達して居りますが、幸にして今日迄は良好なる成績を収めて、其大部分は順調に消化せられました。
殊に従前国債の消化は主として大銀行が之に当って居ったのでありまするが、最近に於ては地方銀行、其他の金融機関等の国債買入高も、相当増加するに至って居りますのみならず、尚は一般個人投資家が、銀行又は証券業者を通じて国債の買入を為す者も、漸次増加するの傾向を示して居ります。
右は現下の財政運行上喜ぶべき現象でありまして、今後に於ても国債に対する投資が、一層普及せんことを希望する次第であります。(441貢)

(注:日銀により一旦引き受けられた国債は市中消化されたことを証言。金融機関によって買い取られたことを喜ぶ高橋是清)

-----
(転載終わり)

合掌・・・