2013年2月10日日曜日

チャンネル桜の子供騙し「収支報告」 "南京の真実"編 1 芸能界以下の"保守"論壇村


芸能界では、「ペニオク」という詐欺商法の広告塔となった芸能人に非難が集中していますね。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1212/25/news032.html


 一方で、日本の"保守"論壇村では、(少なくとも個人的には)詐欺としか思えない集金の当事者と、加担した人に対する責任追及が皆無のようです。


 「南京の真実」なる映画をめぐる、チャンネル桜の水島総が中心となった3億円を超える民間からの集金がありましたが、その浄財はどうなったのでしょうか?

日本人の知的劣化ぶりには目を覆いたくなりますが、拝金主義と保守主義(conservatism) の区別すらできないような状況で、どうやって国を建て直せるのでしょうか?


いちのへさんの「憂鬱ブログ」( 2012年5月29日)より転載


【映画:南京の真実】英霊の名誉は果たして回復したか?

http://katsukikatsunori.sakura.ne.jp/6067F7E4-FE2E-4369-B8A3-BB56B9764F8E/AFCBF09E-B5C0-422D-867A-DFA90CD603A1/F5E2A237-09BC-4239-9D98-2D1014B4F404.html

■本稿の概要。

チャンネル桜代表水島総氏が製作資金を市井に募り、【南京大虐殺】なる中国共産党政府による政治的プロパガンダの虚構を暴くとして開始された映画製作プロジェクトは5年の歳月を経て3億4千万円余の資金を集めるに至った。
第一作が公開されて以来、このプロジェクトは資金支援者と協賛支援者が期待した水準の成果を出しているだろうか? 2012年春時点で、このプロジェクトの成果と現況を再評価してみよう。


■    『映画/南京の真実』 :その製作意図を再確認。

【映画『南京』(2007年、アメリカ)を「中国共産党政府による国際的情報戦争(プロパガンダ)の一環」と位置づけ、「自虐史観に毒された歴史認識を打破し、『南京大虐殺』などは虚構であったということを証明したい」
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/南京の真実)


■『映画/南京の真実』 :現在までのプロジェクトの流れ。

2007年1月14日         製作発表記者会見
2008年1月15日       第一部試写会/公開
2012年5月01日       支援金合計:346,405,465円(現在も受付中)
2012年秋頃        第二部公開予定



■『映画/南京の真実』 :反証映画作品としてのパフォーマンスは?

2012年春時点で市井から3億4千万余の資金を集め、5年の歳月を費やしたプロジェクトは、当初の標榜通りに『南京大虐殺は虚構であったこと』を反証証明しただろうか?  
3億を超える資金と5年の歳月に値するパフォーマンスを出しているかどうか? 以下に検証してみる。

 
■    承前:なにをもってして評価基準とするのか?

学識世界の歴史評価においては『史実として蓋然性/客観性が有る』と判断されるにあたっては、欧米英語圏の歴史研究者の評価がその主流を占め、評価の基準実体となっているのが現実の趨勢だろう。
この趨勢を押さえることなしに外交や言論のみで歴史評価を覆すことは甚だ困難と思われる。

その現実を踏まえるならば、『南京大虐殺』なるケースが実際に発生した史実であるか否か?
という評価の趨勢/大勢は欧米英語圏の、かなんづく白人歴史研究者の判定如何となるということだ。
これはプロジェクトに於いてより良い成果/パフォーマンスを得る為には事前に考慮すべき重要要素だ。

支那文化世界に於いては歴史/史実は政治的道具として、生存の為の道具として使われる。
故に中国共産党支配下の『中国人歴史研究家』を反証の相手としてプロジェクトを進めることは本質的に無意味である。
欧米英語圏の白人歴史研究家/学識にとり、映画コンテンツに閲覧するに値する新たな史的資料しての論理と洞察力が確保されているかどうか?が作品に対する評価基準となることは当然。

その『論理と洞察力』とは何か?と云うならば、云うまでもなく、中国が主張する『南京大虐殺』を否定するに足る十分な反証/反駁が3時間という長尺映画の中に、如何に、どのように示されているかどうか?という事だろう。


■    作品に対する私の評価

この映画の目標は『虚構を暴くための手段=反証手段』であった筈だが、本作品は『散文で幾何証明問題を解くことを試みた如き演出手法』であり、その脚本はおしなべて情緒的演出に終始し、描写は→独房で死刑囚らが辞世を詠んだこと。
→夢幻能なる様式の能/舞踊が日本にはあること。
などが3時間のフィルムのほとんどを占める構成となっている。
つまり、この映画の構成は歴史評価の世界に於いて『反証の資料となるという意思』を最初から放棄した脚本構成と演出となっているのだ。
この『反証意思の放棄』は、私には一種の衝撃でもあったが、何故放棄したのかは、映画を観た者ならば本能的に察知したのではないかと推察する。

プロジェクトが当初に標榜した目的性能を制作費で割ったコストパフォーマンスを出来るだけ客観的に評価するならば、
『このプロジェクトを押し進めた我々は歴史を判定評価するに力を持つ人々にこの映画を提示出来なかった。何故ならば提示出来るに足る品質ではなかったから』
これが掛け値無しの第一部の結果だ。スタートから反証を放棄した脚本で始まったプロジェクトに費された資金は製作者側によれば2億円強、全体資金の7割程度らしいが、反証する為の世界配布は実質ゼロであり、現時点では惨憺たるパフォーマンスと云うほかない。
 

■    【そんなに酷い出来じゃない】?

少数ながら、『そんなに酷い出来じゃないだろう、水島は頑張った』という感想を述べる声もネット世界には散見される。渡部昇一先生は『ゼロと一作でもあるのとでは雲泥の差である』として評価している。
では、製作前時点にける壮図への評価はさておき、『南京大虐殺』という虚構を暴く為に、どれだけの回数、どれだけの場に於いて『有効な反証』としてこの映画は公開以降過去4年間の間に取り上げられてきたのか? ……実質皆無。
この参照/引用事例が皆無という、無惨と云うほかはないパフォ−マンスを目のあたりにして、どれだけの資金支援者/協賛名義貸与者が『汚名は雪がれた』と納得し、満足しているのであろうか? 
そのパフォーマンスの酷さは衆目の一致するところと看るし、土台、映画として映画批評家にまともな批評対象として取り上げてさえ貰っていない状況ではないだろうか。


■    作品が酷い出来だったことを示す証拠。

反証/反駁を構成出来ない脚本構成の致命的欠陥と同時に、当初の『世界配布』の目論みは何処やら、>英語吹き替え版は未だに存在していない。
>ロスで平成20年11月7日から13日まで、僅か1週間公開されたという英語字幕版を  DVDで製作資金出資者に配布したという情報も聞かない。
>英語字幕版をネットを通じて世界配布したという話も2012年5月現在聞かない。
(Paragraph revised dated on 11-Aug-2012)

映画が『反証資料』として有効な作品であるならば、英語版の世界配布に何の問題があるだろうか。
何故、英語字幕版を水島監督は世界配布しなかったのか?
……云うまでもない、作品に対する数多の支援者の無言の失望/落胆の表情を前に、水島監督も英語字幕版を世界配布する価値が本作品には無い=反証の不在=存在価値がそもそも無いことを認めざるを得なかったからではないのか。


■『映画/南京の真実』製作に関与した人々の責任:誰も口にしない問題

以上に述べた私的評価では、映画には反証性能がまったく無い『プロダクツ=製品』であったことを指摘したが、当初の企画意図から逸れ、反証として役立たない映画であることは第一部公開直後の時点で多くの支援者も認識していた筈である。しかし、その『反証性の無い映画=客観的な事実』を『決定的な本質的瑕疵』であるとして『まっとうな批判』を制作者である水島監督に対し直言する人は製作資金支援者にも名を連ねて協賛した各界著名人諸氏にも皆無状態であった……….。

何故だろうか? 

この沈黙は、我々日本人が根絡みで抱える非常に重大な問題を表象している。
その理由を列挙してみると、

→ 人々は『真実を報道』、『言論の自由』と口先では云うけれども、仲間内だと看做す存在=利益共有というムラ社会的共同体に生きるに相手に対しては、客観的事実を事実として告げ批評批判する行為は自分に損だと認識する。

→ 何故、事実を提示し批判することが自分に損だと思うのか?
仕事や論考を批判されることは、すなわち自分の人格/全存在を否定されることだと感じて仕舞う性向を日本人は強く持っている。
すなわち、仕事と人格を分離して批評を受け入れるだけの民度/文明度が我々日本人には欠落していることを本能的に知っている。

→批評/批判を行うことにより、他者と決定的な対立関係に陥り激しい精神的緊張を強いられる状態、日本人一般にこのような強度の緊張に耐えるだけの精神的強靭性を持たない。
あくまで対立を避けやり過ごすことが最上の処世だという文化風土に生きる存在、それが我々日本人の性向なのだ。

この映画製作プロジェクト制作者に対し、3億4千万余の製作資金が今現在一体幾ら残っているのか、
当初に標榜した通り経理を公開せよと実名で問いただす支援者もネット世界を見渡しても極少数である。名を連ね協賛/支援を表明した著名人の諸先生方には、映画を能動的に批評するどころか、4年間放擲された第二部の製作遅延を叱責する方も居ない。
これらの人々は『別段構わない』と本当に心の底から思っているのだろうか?
これらの人々は『英霊の名誉の回復はまた遅れた』とは思わないのだろうか?

『ガラス張りの会計』を謳った映画製作だった筈と、ネットで会計の公表を求めた、私を含むクレーム提示者に対する製作者:水島総氏の返答は、【下司の勘繰り、まことに卑劣で粘着】 という落胆と失望を禁じ得ない侮蔑の言葉であった。

お互いに視線を逸らして無言、『角が立つことは口にせぬ、それが大人』と嘯くが如き態度、それが映画製作の掛け声のもとに馳せ参じた人々、製作者を併せてこれをプロジェクト当事者達と呼ぼう、それらの人々の第一部公開後4年間の姿、現実である。これでいいのだろうか? 
いいわけがない。



■ 無為に消えつつあるプロジェクト『映画/南京の真実』

昨年2011年春以降、『映画/南京の真実:第一部』の惨憺たる結果を踏まえ、第二部で同じ轍を踏まない為には、どのような対応が必要かをネット世界(2ch掲示板:チャンネル桜スレッド)に於いて有志が議論を重ねてきた。
それらの意見交換をもとにして、製作資金提供者が道義的に有する権利、すなわち、一般常識内の道理として、以下の項目の実行を製作者側:水島総氏に提案したい。
この提案の主眼は、なにも3億4千万余の浄財を無為にしない為だけではない、プロジェクトが果たすべきパフォ−マンス=『名誉の回復作業』を無為に消えさせない為だ。



■ 提案1:支援者への第二部脚本/シナリオを情報開示

まず、少なからぬ数の映画支援者が映画第二部の品質に強い不安を抱いていることを製作責任者である水島氏には理解して頂きたい。
その不安が現実のものとならぬために、映画第二部脚本製作にあたり、その製作方針概要の事前公開を求めたい。資金提供者と協賛表明者に対しての限定公開でも構わない。
これにより支援者は脚本品質を事前に把握/確認し、同時に映画の方向性と最終的な品質/反証性能をある程度推定出来る。
外部からの脚本構成の方向性確認は『製品』の品質管理手法として至極まっとうな手法であり、作品の質的価値を担保する為には有効な筈だ。 
供出した資金の多寡に拘らず、第一作が予想外の不出来だったことを踏まえ、資金の提供者が第二作の品質を担保せんがためにシナリオの事前閲覧を製作者側に要求することは、社会常識と商道徳の道理に照らしても法外な要求ではない。



■ 協賛著名人諸氏が負うべき責任

自らの名を冠し協賛/支持を表明した著名人/知識人の方々は、資金提供者と共々プロジェクトの推移と成果に責任を持つべきだろう。
プロジェクト責任者に対し注視/助言と批評の労を厭わないことは、プロジェクトの下に名を連ね国民にその意義を訴えた人々、社会的にそれなりのステータスとネームバリューを持つ人ならば、尚更の責務を持って当然であるという自覚を持って頂きたい。
映画協賛に名を連ねた著名人諸氏に対して、
『映画第一作の成果に満足ですか?第二作製作を前に協賛者として云うべきことがあるのではないですか?』
と問いたい。
もし、無言を決め込むのであれば、
『あの映画が英霊の汚名を雪いだとあなたは考えているのですね』
と批判されても致し方ないだろう。
協賛に名を連ねた著名な方々の名を以下列記するが、映画を協賛したからにはその成果にも責務がある、その責務を今からでも全うするように御願いしたい思う。

映画「南京の真実(仮題)」製作発表記者会見
平成19年1月24日 於ホテルニューオータニ
鷲尾英一郎・笠浩史・田村謙治・松本洋平・稲田朋美 松下新平・大江康弘
加瀬英明 藤岡信勝 佐藤和男 冨澤繁信 中村粲 阿羅健一
勝岡寛次 水間政憲 西尾幹二 小林正 小川義男 西村幸祐 小山和伸
宮崎正弘 藤本隆之 田中英道 名越二荒之助 児玉源太郎 篠沢秀夫 山際澄夫
田形竹尾 倉林和男 大高未貴 日下公人 高森明勅 井上たけし 渡辺眞 松浦芳子
二瓶文隆 桜井秀三 犬伏秀一 三井田孝欧 河内屋蒼湖堂

以上敬称略



■ 提案2:今までの製作費使途内訳と残資金高の情報開示

先に述べたように、この映画プロジェクト、なかんづく、第二部は英語字幕版の世界配布が必須条件だ。然してその予算の事前確保/確認も必須だ。
何故なら、『製作資金残高は英語字幕版を製作するに足るのか?』という不安に対し水島氏は『他の用途で遣い果たしているようなことはない、口座に手つかずで残っている、私を信用して頂くほかない』

と説明しているが、約束した仕事を成すに足る製作資金を手元に留保している事実を支援者に情報公開することは、単に当初に標榜した『ガラス張りの経理』を実践するに過ぎない。
資金が手元に確保してあるのならば、その情報公開に何を躊躇することがあるだろうか。



■ 提案3:反証性/有効性という品質確保の為の選択肢留保

先に求めた第二部脚本の方向性と成すべき反証内容が明らかに不十分であった場合、どのように対処すべきだろうか?
異なる選択肢を持つべきことはプロジェクトを安全に継続するために当然必要だ。
提示された脚本の内容が不十分であると看做す声が圧倒的であった場合、複数のオプションが行使可能だろう。

選択肢A=脚本の内容を修正する。
選択肢B=外部のプロ脚本家にシナリオ製作を委託する。

Bにおける外部リソースの利用を選択した場合、外部からプロの脚本家を招聘するオプションを確保する為には新規に経費が発生する。その必要経費を賄う残高は確保されているのか?
これを事前に確認しておかなければ、我々の選択肢は極めて限定されたものとなって仕舞う。
これは品質確保という視点から診るならば、端的にプロジェクトのリスクが高まることを意味する。
そのような状況に陥る事態は回避することが当然、その意味でも残余資金高の事前確認とその公開は必須なのである。



■ 責任の所在無きプロジェクト?

資金残高公開に応じない場合、それがどのような内実を物語っているのか?
社会的常識の理解するところは明らかだろう。
そうなれば云うまでもなく、プロジェクトは実際には瀕死の危機にあることも明らかだろう。
支援者/協賛者はそれを座視するだけでよいのだろうか。よい筈がない。

そして、その危機的状況を生じさせた責任は、一体誰にあるのだろうか?
その責任は、云うまでもなく主たる責任は製作者の水島総氏にあるが、同様に、協賛を表明するだけ、製作資金を提供するだけで、第一作以降はなにも声をあげない、映画の有効性に関して批判も批評もしなかった我々にも責任はあるのだということ我々は自覚すべきだ。
このプロジェクトのパフォーマンスを厳しく評価/査定せざるを得ない日がいつか来る。
その日とは、自己の査定、いわば自己総括の日である。我々はそれから逃げる事は出来ない。

『英霊の名誉』という肺腑を抉る言葉。
『それでも立ちあがらないのか』という詰問にどれだけ苛まれたことだろうか。
我々有志はその呼びかけに呼応しプロジェクトに参加した。

第一作の『敗戦』のもとに、我々は踞り項垂れているだけでいいのろうか。
我々には声を上げ、再戦を挑むことが出来る筈だ。
戦いは具体的に、詳細に。まずは『脚本』と『資金』を製作者に確認する事だ。
プロジェクトへの有効な指針とはどのようなものであるか、多くの人が声をあげるならば、それは作品の品質とプロジェクトのパフォーマンス向上に直結するだろう。

再度、この映画に賛同し、協賛を表明した著名人諸氏の氏名を記し、映画第二部を成果あるものとする為に製作責任者水島総氏に対し声を挙げるよう、御助力をお願いしたいと思う。

赤池誠章(衆議院議員)
荒木和博(特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学海外事情研究所教授)
阿羅健一(近現代史研究家)
井沢元彦(作家)
石原慎太郎(東京都知事)
井尻千男(拓殖大学日本文化研究所所長)
板垣 正(元参議院議員・日本遺族会会長)
伊藤 隆(東京大学名誉教授)
伊藤哲夫(日本政策研究センター所長)
稲田朋美(衆議院議員)
井上和彦(ジャーナリスト)
上杉千年(歴史教科書研究家・新しい歴史教科書をつくる会理事)
遠藤浩一(拓殖大学客員教授)
大江康弘(参議院議員)
大高未貴(ジャーナリスト)
大塚 拓(衆議院議員)
大原康男(國學院大學神道文化学部教授)
岡崎久彦(NPO法人岡崎研究所理事長・元駐タイ大使)
小川義男(狭山ヶ丘高等学校 校長)
小田村四郎(日本会議副会長・前拓殖大学総長)
小野田寛郎(財団法人 小野田自然塾理事長)
小山和伸(神奈川大学教授)
加瀬英明(外交評論家)
勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)
椛島有三(日本会議 事務総長)
川村純彦(元海上自衛隊 海将補)
日下公人(評論家・前東京財団会長)
工藤美代子(ノンフィクション作家)
クライン孝子(ノンフィクション作家)
倉林和男(英霊にこたえる会中央本部運営委員長)
児玉源太郎(日本安全保障情報機構株式会社 代表取締役社長)
小林 正(元参議院議員・日本教育再生機構代表委員)
小堀桂一郎(東京大学名誉教授・日本会議副会長)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
桜林美佐(キャスター・ジャーナリスト)
佐藤 守(軍事評論家・元航空自衛隊 南西航空混成団司令 空将)
佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)
佐藤博志(英霊にこたえる会中央本部広報委員長)
佐藤政博(防衛政策アナリスト)
佐藤和男(青山学院大学名誉教授・法学博士)
篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)
菅沼光弘(アジア社会経済開発協力会会長)
杉原誠四郎(日本「南京」学会理事)
髙池勝彦(弁護士)
高木 毅(衆議院議員)
田形竹尾(元特攻隊教官)
高橋史朗(明星大学教授)
高森明勅(日本文化総合研究所代表)
瀧澤一郎(国際問題研究家)
田久保忠衛(杏林大学客員教授)
竹本忠雄(筑波大学名誉教授)
田下昌明(医学博士)
田中英道(東北大学名誉教授)
田村謙治(衆議院議員)
戸井田徹(衆議院議員)
東條由布子(東條英機元首相御令孫・NPO法人「環境保全機構」理事長)
頭山興助((社)農村資源開発協会理事長)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学文学部教授)
冨澤 暉(元陸上幕僚長)
冨澤繁信(日本「南京」学会理事)
中西輝政(京都大学大学院教授)
中村 粲(独協大学名誉教授)
中村信一郎(國體政治研究会代表幹事)
名越二荒之助(元高千穂商科大学教授)
西岡 力(東京基督教大学教授)
西尾幹二(電気通信大学名誉教授・「救う会」全国協議会常任副代表)
西川正長(元航空自衛隊 南西航空混成団司令 空将)
西部 邁(評論家/秀明大学学頭)
西村幸祐(戦略情報研究所客員研究員)
西村眞悟(衆議院議員)
野村旗守(ジャーナリスト)
花岡信昭(ジャーナリスト)
花田紀凱(月刊「WiLL」編集長)
濱口和久(安全保障、領土・領海問題アナリスト)
半本 茂(元教科書是正訴訟事務局長)
東中野修道(亜細亜大学教授)
平沼赳夫(衆議院議員)
吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)
福田 逸(明治大学教授/(財)現代演劇協会理事長)
藤井厳喜(拓殖大学客員教授)
藤岡信勝(拓殖大学教授)
藤本隆之(株式会社展転社代表取締役社長)
古庄幸一(元海上幕僚長)
細谷茂樹(国際ジャーナリスト)
牧野弘道(戦史作家・元産経新聞編集委員)
松下新平(参議院議員)
松島悠佐(元陸上自衛隊中部方面総監 陸将)
松原 仁(衆議院議員)
松村 劭(軍事学研究家・元陸将補)
松本洋平(衆議院議員)
馬渡龍治(衆議院議員)
水間政憲(ジャーナリスト)
皆本義博(NPO法人埼玉県国民保護協会 会長)
宮崎正弘(評論家)
三輪和雄(日本世論の会 会長・正論の会 代表)
茂木弘道(「史実を世界に発信する会」事務局長)
百地 章(日本大学教授)
森 満(元陸自第11師団副師団長・陸将補)
八木秀次(高崎経済大学教授)
山際澄夫(ジャーナリスト)
山田惠久(國民新聞 主幹)
山村明義(ジャーナリスト)
山本卓眞(偕行社会長)
屋山太郎(政治評論家)
笠 浩史(衆議院議員)
鷲尾英一郎(衆議院議員)
渡辺 周(衆議院議員)
渡部昇一(上智大学名誉教授)
賛同者一覧 ※平成20年1月24日現在 50音順 敬称略
以上チャンネル桜HPより
http://www.nankinnoshinjitsu.com/sandou.html