その語源?をご存知でしょうか。
当ブログでは、「赤い売文業者」の発言と、「ショック・ドクトリン」の発信源を明確にすることにより、民族系論壇に巣食う赤い売文業者の思想本籍を明らかにしたいと思います。
まず、次の文章をご紹介します。
三橋貴明のブログより(先月のもの)
(転載はじめ)
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『ギリシャの「債務危機」という「ショック」を「活用」し、同国のインフラストラクチャーを「グローバル資本」が安く買い叩き、その後は「独占の外資系企業」として、ギリシャ国民の所得を奪取しようとしているに過ぎないのです。すなわち、ショック・ドクトリンです。』
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(転載終わり)
で、「ショック・ドクトリン」という、つい最近まで聞きなれない言葉がどこから出てきたのか調べてみました。
出てきたのは、これ
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米国在住の極左である、ナオミ・クラインの著書
例えば、こんなことが書いてあります。
「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン著 ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上、岩波書店)
(転載はじめ) 青字はブログ主のツッコミ
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壊減的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義」と呼ぶことにした。(5~6頁)
イギリスのマーガレット・サツチヤー首相もまた、同じような目的から一九人二年に起きたフオークランド紛争を利用した。サッチャーは紛争によって生じた混乱と愛国的熱狂に乗じ、強権を行使して炭鉱労働者のストライキを潰すとともに、西側民主主義国家で初めて民営化狂乱の道へと歩み出す(注:意味不明、根拠なし)。 一九九九年、北大西洋条約機構(NATO)軍のベオグラード攻撃〔いわゆる「コツボ紛争Lによつて旧ユーゴスラビアには民営化即時導入の環境が整ったが、それは軍事行動を起こす以前から掲げていた達成目標だった(注:意味不明、根拠なし。ユーゴ内戦は、ユーゴスラビア連邦解体の過程で起こった内戦で。1991年から2000年まで紛争が継続し、NATOの軍事介入によってようやく終結した。ちなみにサッチャーが首相を退任したのは1990年)。これらの戦争や紛争が経済的動機のみで起こされたとは言えないにせよ、いずれのケースでも大規模なショツク状態が経済的ショック療法導入に利用されてきたことはたしかである。(12頁)
シカゴ流のショック療法をイギリスのような民主主義国で行なうのは不可能だという
のだ。第一期の三年目に入ったサッチャー政権は支持率の低下に悩んでおり、ハイエクの提案するような急進的あるいは国民に不人気の政策を取って次の選挙に負けるようなことは、断じてするわけにはいかなかった。
ハイエクと彼に代表されるシカゴ学派にとって、これは不本意な結論だった。(184頁)
(注:間違い。ハイエクはオーストリア学派。多くの点で似てはいるが、例えばハイエクとフリードマンの通貨政策は全く異なる)
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(転載終わり)
他にも突っ込みどころはいくらでもありますが、三橋貴明や中野剛志ら、赤い売文業者の言うことを疑って、少し自分で調べてみれば、そのデタラメさに気づくはずです。
以前、私がブログで書いた次の記事で取り上げた「新自由主義」というデヴィッド・ハーヴェイの極左用語(もともとは「法の支配」の下での自由というハイエクの主張を恣意的に捻じ曲げたもの)も、ついでにご参照いただきたく思います。
「新自由主義」という極左用語を使う社会主義者たち
http://megu777.blogspot.jp/2012/07/blog-post_17.html
ちなみに、「ショック・ドクトリン」の著者のナオミ・クラインは、このデヴィッド・ハーヴェイという米国在住の極左の、マルクス礼賛本「〈資本論〉入門」(デヴィッド・ハーヴェイ著、作品社)に対して、次のコメントを寄せています。
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『ハーヴェイ教授は、経済学やマルクス研究に革命を起こし、世界の新たな世代の知識人に影響を与えている。今を生きるすべての人が、本書を読むべきだ』(ナオミ・クライン)(注)反面教師の教科書として読むなら可。ただし、カネのムダなので図書館で借りるか、本屋で立ち読みする程度でOK。