中川教授ブログ(2014年4月21日)
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/04/21/182559
“強度の共産主義シンパ”西尾幹二を「保守」という冗談(ジョーク)──“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅷ)
ここで、中川教授は、大川周明(アジア主義)を信奉する今の日本の民族派に対し、非常に厳しく批判されております。
大川周明の悪事の数々と、その思想にかぶれる自称保守の民族派については上記ブログで一刀両断されており、精神の平衡感覚を持った人が読めば、解毒されることでしょう。
ただ、折角の機会でもありますので、私からも、「保守」論壇に巣食う民族派の出鱈目と狂気を晒しておきます。
大川周明(特に大正~昭和前期にいて日本を見ずミスリードした社会主義者)の著書のうち、その代表作である『日本二千六百年史』だけであっても、ざっと目を通せば、大川の主張がマルクス・レーニン主義そのものであり、保守主義とは全く逆の過激な全体主義者であることが、一目瞭然です。
大川周明 『日本二千六百年史』より引用
『いまや革新は必然の勢いとなった。而して東に於て足利氏が専ら機会の熟するを待ちつつありし間に、西に於ては承久以来血涙を呑んで武家の専制を忍びたる京都政府もまた革新の気運に動かされた。』(第十五章 建武中興)
『楠木正成とは、よく北条氏の毒手を免れて、南畿一帯の地に革新運動を続行した。幾許もなくして天皇はエルバを脱せるナポレオンの如く密かに壱岐を出でて伯耆に渡らせられ名和長年の奉公によりて船上山上より宣旨を諸国に飛ばし給うた。』(第十五章 建武中興)
『一挙にして鎌倉を滅ぼし、ここに革新を成就して』(第十五章 建武中興)
※後醍醐天皇をナポレオンに例える。また、社会主義用語である「革新」を連発。
『フランス革命史を読める人は、巴里(パリ)を逐われたる前王朝の文武百官が、あるいはプロシアにあるいはオーストリアに愁訴嘆順し列強の力によりて、奪われたる自己の権力を恢復せんとせし亡目的醜態を見て、之を賤しまざるを得ないであろう。而してこれら亡国階級の売国的行動は、ついに連合草の仏国侵人となり、之が為にフランス革命は全く常帆を逸せる狂乱状態に陥り、恐怖
時代を現ずるに至った。この時までフランス革命家は、決して必ずしも共和制を望んでいなかった。
もし彼ら亡命貴族が唯だ旧王権を恢復せんとして、隣強侵人Tのために故国分割の冊導を務めるが如きことなかりせば、可憐なるルイ十六世の頭がギロチンの上に刻ねらるることなくして終ったかもしれぬ。鳴呼、幕末の幕府政治家も徳川氏のためにギロチンを準備しつつあったのだ。(第二十八章 尊王と攘夷と倒幕)
※フランス革命で暴虐の限りを尽くしたジャコバン派を擁護。
なお、"保守主義の父"エドマンド・バーク(当時の英国の下院議員、大日本帝国憲法はバークに影響を受けた金子堅太郎、井上毅らにより起草されている)は、フランス国内に反革命勢力が存在しているうちに英国はフランスに宣戦布告すべきであると強く主張していたから、そのバークの主張と逆さまに革命政府の擁護をするのは、大川周明の思想が過激な反保守主義(極左)である証拠。
(ご参考 フランス革命の実態)
『死者二〇〇万人。これが、大革命と帝政期における諸戦争でフランス一国が払った代償だったようだ。
二〇〇万人のうちの大部分は若者であり、彼らは子孫を残さずに死んだのである。彼らとその子供や孫として生まれるはずだったフランス人がいなくなったことは、この時代の人口動態全体に影を落とし、人口衰退を招くことになる。
二〇〇万人というのは、史上最も死者が多かった二つの戦争、すなわち第一次世界大戦と第二次世界大戦でのフランス人の犠牲者を合わせた数にほぼ匹敵する。しかし、この犠牲者数が人口約二七〇〇万人の国民にぶりかかるときには、四〇〇〇万人の国民にかかるよりずっと重大な意味を持つのである』(ルネ・セディヨ「フランス革命の代償」草思社、12頁)
『明治維新の建設的事業は、明治天皇の新政府の手によりて断行せられた。それ一切の改造は、常に強大なる中心権力を要し、従って断乎たる専制政治を欲する。総ての改造は、新しき統一を代表せる大専制者の出現を待ちて、初めてその成功を可能とする。フランス革命はナポレオンの専制によってなった。ロシア革命はレーニン及びスターリンの専制によって成りつつある。而して明治維新は、実にその専制者を明治天皇に於いて得た。』(第二十九章 明治維新)
※明治天皇をナポレオンやレーニンと同列に扱う。不敬極まりないのは当然ながら、それ以前に頭がおかしい。
『日本の平民は、日露戦争以後漸く国家に於ける自己の地位、国家に対する自己の貢献を自覚して、自己の正当なる権利を要求した。この要求は、各種の社会運動乃至政治運動として現われた。而して政治家の之に対する対策は、依然として「弾圧」の一語に尽くされる。彼らは国民に向って「社会」という言葉の使用を禁ぜんとし、または「民主」を目にする者は獄に投ぜんとし、選挙権の拡張を求むる者を叛逆者扱いした。而して曲学阿世の御用学者をして、国民の新しき思想と戦わしめ、その頭脳を素町人、土百姓時代に復帰せしめんとさえした。かくして平民は疲弊せる上に抑圧せられし間に、一方には政治家と富豪とが相結んで、封建大名に代る黄金大名の出現を促した。』(第三十章 世界維新に直面する日本)
『労働者と資本家との抗争は年と共に深刻を加え、もはや温情主義などを以て如何ともすべからざるに至った。この国民生活の不安を救うためには、幾多の欠陥を明らさまに暴露せる資本主義経済機構に対して、巨大なる斧を加えねばならぬことが明白なるに拘らず、富豪階級と権力階級との多年にわたる悪因縁は、ついに徹底せる改革の断行を妨げて、唯だ一日の安きを愉む弥縫的政
策が繰り返されるだけである。(第三十章 世界維新に直面する日本)
※「共産党宣言」(マルクス、エンゲルス)を丸呑み。
なお、同内容の主張は、「新自由主義」という社会主義用語を好む中野剛志、三橋貴明らと酷似しています。
大川周明を信奉する関岡英之、西尾幹二(両者ともチャンネル桜の常連)
未だに大川周明を信奉する者が多い日本の"保守"論壇ですが、結局、彼らは共産党や社民党、民主党と同様の思考回路なのでしょう。
ちなみに大川周明に資金援助を行っていた徳川義親が、戦後、社会党の創立資金を拠出していますが、日本の"保守"を自称する人たちは、この事実をどのように捉えるのでしょうか?
『戦前の日本の軍部と右翼が、絶対に許すべからざる存在と考えたのは、むしろ「自由主義 者」であって、必ずしも「社会主義者」ではない。社会主義は、ただ方向を誤っただけで、彼らの意図そのものは必ずしも誤りではないから、方向さえ変えさせ れば、いわば転向さえすれば、有能な「国士」になると彼らは考えていた。従って、転向者の多くは軍部の世話で、「満鉄調査部」に勤めていたところで、それ は必ずしも不思議ではない。だが、彼らは、自由主義者は、箸にも棒にもかからぬ存在と考えていた。この考え方は、青年将校などにも明確にあり、自由主義者 とは「転向のさせようがない人間」いわば、彼らにとっては「救いがたい連中」だったわけである』(山本七平著「空気の研究」文春文庫、138頁)