2012年4月30日月曜日

西部邁一派と寺脇研、コリア国際学園(北朝鮮系?)の闇

もう、すっかり(国家)社会主義者の巣窟となった感のチャンネル桜の番組は、最近はほとんど観ていないのですが、私のブログに対するコメントで気になったことがあり、少し調べてみたら、また、とんでもないことを見つけました。


【討論!】表現者スペシャル・さようなら戦後日本[桜H24/1/21] 



正直に言いますが、現時点で、私はまだ最初の20分程度しか観ていません。しかし、題名と出演者からして意味不明です。


【パネリスト】
杉原志啓(音楽評論家・学習院女子大学講師)⇒学術論文を検索してみたが、全く無いか殆ど無い
寺脇研(映画評論家・京都造形芸術大学教授)⇒コリア国際学園理事の肩書きが抜けている
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
中野剛志(京都大学大学院准教授)⇒昭和天皇へ退位を迫る一方、TPPでデマを撒き散らしながら平然としている税金泥棒
西部邁(評論家)⇒このグループの頭目。拉致被害者への罵声、日中同盟の提唱、皇室に対する不敬発言など、日本人とは思えない。
安岡直(秀明大学准教授)⇒西部邁が元学頭の大学の職員で、生徒には中国人留学生が多い(国防動員法が発令されたらどうするんでしょうね)

中国人の多い秀明大学 大丈夫~???


日本人の若者に厳しく、外国人留学生を優遇する「留学生30万人計画」
http://www.studyjapan.go.jp/jp/toj/toj0306j.html



秀明大学の外国人留学生優遇


http://www.shumei-u.ac.jp/admission/outline_foreign.html

秀明大学の外国人留学生比率


(卒業生の約3割が外国人留学生)
http://www.shumei-u.ac.jp/university/info/kiso06.pdf

国防動員法


【司会】
 水島総

というメンツで始まりました。

どこが保守論壇なのか、さっぱり分かりません。
左翼の床屋談義としか思えませんが、、
『さよなら戦後日本』ではなく『さよなら日本』というタイトルが正しいのでしょう。
国外追放すべき輩の名が多いですね。

生産性が低いタックスイーターが偉そうなことを言って威張っていますね!
悔しかったら、自分で真っ当な仕事をして、生計を立ててみろ!



(3分~)富岡幸一郎

西部邁一派が執筆、出版する「表現者」「文明の宿命」の宣伝
(水島総は「本を買ってほしい」と援護射撃)

いわゆる営業保守ですね


(5分~)西部邁

『イラン、ホルムズ海峡をめぐるきな臭い動きは国内世論を引き締めるための強国の思惑による』

⇒イランは核開発と弾道ミサイル開発について、北朝鮮との協力関係にあることはずっと前から言われていました。今のイラン制裁に向けた動きは、むしろ遅すぎたと言うべきで、イランを擁護するのは北朝鮮を利すると私は思います。

北朝鮮の数百人がイラン核開発支援 技術者ら派遣
http://megalodon.jp/2012-0429-2230-43/sankei.jp.msn.com/world/news/111113/kor11111314370002-n1.htm


西部邁は過去にこんなトンデモ発言をしていたこともあり、むしろ確信犯的にイラン擁護をするのでしょう。

エセ保守監視小屋 REVIVAL 4 
西部邁&小林よしのり 拉致被害者に対する誹謗中傷
http://megu777.blogspot.jp/2012/03/revival.html



(11分~)杉原志啓

『営業保守への疑問を感じる』

ブーメラン!
この番組の冒頭から自分たちの商品(本)の宣伝をしているのは誰だっけ??



(15分~)寺脇研


『役人をやっていると左翼と付き合いをしなければならなくなる』
『全体として左翼はおかしい』

『表現者』の目次
(寺脇研が表現者に連載記事を寄稿している)


(注)榊原英資は民主党のブレーン


この寺脇研(ゆとり教育推進の張本人)とそれを連載させる『表現者』という雑誌こそ、極左そのものでしょう。

西部邁一派(「表現者」グループ)によると、寺脇研が「保守」になるらしい



寺脇研

・コリア国際学園の理事をやっている
(ブログ主が調べた限りでは、この学校?は表向きは韓国系ですが実態は北朝鮮系、あるいは北朝鮮工作員が暗躍しているとの印象を受けました)
http://www.kis-korea.org/greetings/message_5.html




注:コリア国際学園について(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%AD%A6%E5%9C%92


コリア国際学園HPより
『KIS(コリア国際学園)(保護者を対象に寺脇研先生の特別講演会を開催』
『東アジア共同体の形成に向けて、構想・理念の段階から具体的なロードマップを準備する段階に入った。』
http://www.kis-korea.org/kccbbs/kannews_viewbody.php?number=20




・ゆとり教育仕掛け人・寺脇研が設立した在日エリート校が授業料無償化
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-1536.html


・新しい時代の前夜
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2011/06/1106j0303-00001.htm


『文部省(当時)の役人をしていた10年以上前、朝鮮大学校の国立大学受験資格問題などの問題が起きていたときから、朝鮮学校の問題にかかわっていた。今日この演劇を見て、2000年7月に初めて栃木朝鮮初中級学校に訪れた時のことを思い出した。その時目にした、劇中に出てきた少女のようにチョゴリを着た生徒たちが一生懸命勉学に励む姿は素晴らしく、いまだ解決されない「高校無償化」問題を考えるとまったく情けなくなる。

今回の作品では、あらゆる差別と抑圧を受けた1世が抱く「恨」の気持ちを受け継ぎながらも、今の状況をいかに変えていくかという、新世代の在日らしさがにじみ出ていた。20世紀は、日本人の歴史認識をいかに正すかという問題が提起されていたが、21世紀は日本と朝鮮の関係をいかにつなげていくのかという問題が問われる中で、それを自分たちが担っていこうという決意がこの作品から感じられた。そういう意味でも日本での在日コリアンの存在意義は大きく、今日の公演を通じて日本の新しい時代の前夜を見た気がした。とてもよかった。』






・「我が国のかたち」さんのブログより引用
http://ameblo.jp/blogdetox/entry-11098285265.html


日本の子供たちには「ゆとり」を強要し、在日には「詰め込み教育・受験エリート」をお届けする。




なんだか変だなぁと思う方は、このリンクをクリックを!







※個人的には、水島社長には個人的恨みも何もなく、チャンネル桜に対しては2010年の尖閣デモの際には応援していただけに、残念でなりません。

2012年4月25日水曜日

三橋貴明後援会のハイパーインフレ

昨年(2011年)、12月17日に当ブログにて「三橋貴明 - 国家ビジョン研究会 - 鳩山由紀夫の闇」と題して、三橋貴明の怪しげな発言をいくつか追及しましたが、その後、彼のブログで、どうなっているのか調べてみました。

上記のとおり、ブログの更新数と、その中で「国家ビジョン研究会」の文言が入っているブログ数とを月別に並べ、毎月の言及率(笑)なるものを出してみました。

国家ビジョン研究会については、三橋の参加が公表された月(2011年6月)から、当ブログで発言の矛盾を指摘した日(2011年12月17日)までは、比較的頻繁に言及され、特に指摘される前月の2011年11月には、30件のブログ更新件数のうち、24件に掲載され、三橋ブログは国家ビジョン研究会フィーバーの様相を呈していました。

ところが、当ブログで指摘されるや否や、国家ビジョン研究会に関する言及は一切なくなり、本日にいたるまでの約4ヶ月間、ゼロ行進が続いています。

何だったんでしょうね???


三橋貴明のブログでの発言(2011年6月8日)

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10916390782.html#main
(魚拓)
http://megalodon.jp/2011-0818-1914-37/ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10916390782.html

(以下引用)
----

6月30日にシンポジウム の司会をお引き受けしたシンクタンク「国家ビジョン研究会」(わたくしはここの「経済・金融・財政分科会」の末席を汚しております)が、「鳩山由紀夫元総理の私的諮問機関」では?というツイートを頂いたので、事務局長さんに直接確認してみたところ、「全くのデマ。完全に事実無根!」との事でございます。

わたくしは、同シンクタンクの会長さんから「当方は民間の完全独立のシンクタンクである」と伺ったので、お手伝いをしているわけでございます。


----
(引用終わり)



毎日新聞(2010年1月5日・夕刊第1面)



個人的には別に国家ビジョン研究会が元々ルーピーの私的諮問機関であったとしても、適切な情報開示が果たされれば、その存在自体を糾弾するつもりはありません。

三橋貴明も、支援者の皆さんに説明責任を果たした上で、堂々と活動すればいいだけのことです。

三橋貴明は何で説明しないんでしょうね?

"三橋貴明が、どのような人物なのか"は読者の皆様にご判断を委ねますが、何だか香ばしいですね。


ちなみに、三橋貴明後援会は、政治団体として会費を徴収しています。


三橋貴明後援会ではハイパーインフレ(笑)が起きたそうですが、支援者の皆さん、大丈夫ですかぁ??

以下、ののちょさんのブログより
http://ameblo.jp/nono0220/entry-10759772371.html
----

2010年の12月末、突如として三橋貴明後援会の会費が値上げされた事が一部話題になっていた。
額にして三倍の値上げである。
しかも振込み期限は連絡から一週間程度の12月31日迄という、年の瀬に非常識な内容だった。
しかし今後の選挙への出馬に関する内容は何一つ無かった。



この件について宇田川敬介氏がしたらばに書き込んだ内容を取り上げる。


(引用)

livedoor したらば
373:Udagawa
10/12/25(土) 23:54:47 ID:3lp/seSM0
>>371
会費が3000円になった理由なんて私にはわかりませんね。
様々プライベートで金がかかるのでしょ。
家庭が二つあれば仕方がないのではないですか?

livedoor したらば
376:Udagawa
10/12/25(土) 23:57:57 ID:3lp/seSM0
>>374
後援会の規約を見ていないのでわかりませんが、
規約内に「選挙出馬」に関する記述があれば、詐称行為の疑いはありますね
単に政治活動となっていてはそうはなりません。
騙された方が悪いということになります。

livedoor したらば
382:(・∀・)ソースはオタフク [sage]
10/12/26(日) 00:02:45 ID:Fqz3Qpes0
ということはお金を集めるだけ集めて解散しても騙されたほうが悪いということなんだなあ 

383:Udagawa
10/12/26(日) 00:03:25 ID:V.fMdNqI0
>>382
そういうことになりますね。

三橋の性事活動に献金したい方はどうぞ。


注:性事活動って、こんなこと?


君が代斉唱後、日の丸と菊のご紋章の前で
愛人とコスプレ姿でカラオケを熱唱



下記の動画では2年に一度の転職と書かれていますが
より正確には1年半に一度の転職




(引用終わり)

ちなみに後援会員には以下のようなメールが送られてきたそうだ。

(引用)

後援会員各位

平成23年度 三橋貴明後援会 後援会員 会費納入のおしらせ

拝啓
師走の候、ますますご隆昌のこととお慶び申し上げます。
日頃より、三橋貴明の政治活動につきましてご尽力をいただき厚くお礼申し上げます。


お世話になります。三橋貴明です。

7月の参議院選挙敗北以降、資金面の問題から後援会活動が停滞しましたこと、深くお詫び申し上げます。
また、同選挙における皆様の献身的な支援活動に、心から御礼申し上げます。
資金面の問題が完全に解決したわけではございませんが、株式会社三橋貴明事務所からの貸付金により、何とか後援会活動を前に進めることができる状況になりました。
来年は月刊WiLLでの連載を中心に、歴史問題同様、経済分野においても「定義」や「相対化」を浸透させ、 日本のデフレ脱却や経済成長路線への回帰のために、できることを全てやっていきたいと考えております。
本年の皆様からのご支援に、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今後とも三橋貴明を、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、当後援会では、平成23年度後援会員の会費納入等につきましてご連絡させて頂きます。

1)三橋貴明後援会の後援会規約の変更
2)三橋貴明後援会の活動方針
3)三橋貴明後援会 平成23年度の会費納入について
4)後援会入会方法について
5)個人献金について


1)三橋貴明後援会の後援会規約の変更

三橋貴明後援会規約(変更箇所抜粋)

6 役員 本会は次の役員を置く。
代表 1名
会計責任者 1名
会計職務代行 1名
8 会費 本会の会費は年3,000円とする。

付則1 本規約は、平成22年1月26日より実施する。
付則2 この改定は、平成22年7月13日より実施する。

(中略)



3)三橋貴明後援会 平成23年度の会費納入について

誠に勝手ながら、後援会規約8項にあるとおり、来年度より後援会費を年3,000円とさせて頂いております。 
上記三橋貴明後援会規約及び三橋貴明の政治活動に御賛同頂ける方につきましては、以下の申込フォームより必要事項を記入の上、所定の手続きにより会費のご納入を頂けますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

----


ののちょさんのブログから引用終わり



三橋貴明後援会のブログには自民党のバナーが貼ってありますが、大丈夫なんですかね?
http://mitsuhashi-takaaki.jp/wordpress/?page_id=284



三橋貴明自身の財布は、本を出版したり、講演会に引っ張りだこで、かなりのインフレだと思うのですが、後援会費の値下げはしないんですかね??


矛盾していませんかね??


なんだか変だなぁと思う方は、このリンクをクリックを!






【三橋の非公式ファンクラブの記事、続々登場!】
http://ameblo.jp/nono0220/

2012年4月20日金曜日

「日本資本主義の精神」と道徳の復権

「市場原理主義が~」「新自由主義が~」「グローバリズムが~」などと言って、資本主義を嫌悪する声ばかりを耳にすることが多いですが、そのようなことを連呼する連中に限って、ほとんど道徳について語らないし、語ったとしても言行不一致との印象を持っています。

市場という、非人格的規律・自生的秩序の否定をしたなら 、次に待ち受けるのは為政者による私有財産の強制的再分配、統制経済と全体主義です。

現民主党政権(=名前を変えた社民党、共産党)はもちろん、三橋貴明、中野剛志、西部邁らに共通して言えるのは、市場に対する誹謗中傷とデマの流布、そして自らの道徳については全く棚上げしていることでしょう。

私は資本主義、自由主義を擁護しますが、その「自由」の概念を、右(三橋、中野、西部)も、左(民主党、社民党、共産党)も、全く理解していないか、歪曲して流布しているのが現状です。

自由主義社会においての自由というのは、道徳と一体の自由であって、「無責任にやりたい放題の自由」「責任放棄の自由」「嘘を付く自由」などとは、全く正反対の概念です。


さて、ここで美徳、道徳といった言葉を使いましたが、過去の日本人の勤勉といった道徳について、簡単ではありますが、一部ご紹介したいと思います。
大正時代に生まれ、昭和の戦中、戦後も体験した山本七平氏の著書から引用させていただきます。


山本七平「日本資本主義の精神」(文春文庫)より引用
-----

Hさんは、すでに60歳の半ば、今は楽隠居の身分である。誠実な職人肌の人だが、普段は驚くほど無口で無愛想。

(中略)

氏は東京近県の貧農の出身である。そして小学校卒業前に銚子の傘屋に小僧にやられた。簡単にいえば「食えない農家」の「口減らし」であり、衣食住の最低の支給はされるとはいえ、年中無休の無賃労働にやられたわけである。
氏は実に忍耐強い人なのだが、やがて、その傘屋の扱いの過酷さに耐えかねて、出奔した。

(中略)

そして、全く事情を知らぬ東京をうろうろし、空腹と疲労で行き倒れになる寸前に、壁に張ってある小紙片が目についた。「小僧求む」--彼は夢中でそこへ飛び込んだ。そこが偶然に製本屋であり、その偶然が彼の生涯を決定した訳である。
そこは当時としては日本で一、二と言われた製本会社で、いわば業界の大手なのだが、昭和のはじめにおける「大手」がどのような実態であったのか、氏の話を少したどってみよう。
社屋は関東大震災後に立てられた木造の三階で、その三階が住み込みの小僧の居室、二回の一分には店主一家が済むという、文字通りの職住一体の「店舗付住宅」ならぬ「工場付、社宅付、住宅」なのである。就業時間は通常午前八時から午後八時まで、月に半分ほど夜業と深夜業があり、休日は一日、十五日の月二回であった。今では忘れられているが、昭和三十年ごろまでは、この伝統は残っていた。

(中略・・・Hさんはその後、手に職を付けて、その製本会社の下請け工場として独立した)

さて、これらの独立した下請け企業主の、いわば創業時代の「モーレツ」ぶりは、いまの人には想像もできないだろう。彼らは、文字どおり、社長、職人、小僧をかねて働きまくった。
だが、親会社の仕事は断続的であり、あるときには徹夜をしても追いつかないが、ないときには全くないのが普通である。そんなときには、当然、収入のあてがなくなる。T製函の社長Tさんは、若いころを回顧して言った。
「成功したと言っちゃ自慢になるけど、うまくいったやつとうまくいかなかったやつの違いは、仕事のないときを生かしたか殺したかの違いでね」と。
「どうやったんです?」
「うん、ある人から、無駄になると思って名刺を配れって言われたんだ。名刺百枚もって、次から次へとまわって歩くんだ・・・」
いわば「とびこみ」で注文をとりつつ、同時に商業的・営業的感覚を学べ、ということなのであろう。それでも、
「名刺を千枚もまきゃあ、必ず一軒や二軒はお客が取れるし、まじめにやれば以後は一生の付き合いだから安いものさ」であったという。
戦後の復興を担ったのはこういう人であった。彼らは丸焼け裸一貫になってもべつに驚かなかった。なにしろ一人で何もかもできたからである。
「ほかのことは何も知りませんがね。製本なら武芸百般、知らぬことはないす。革すきとノリ刷けとノリボンがありゃそれでじゅうぶんでさあ」
とHさんは言ったが、Tさんも同じことを言った。

-----
(引用終わり)


さて、上記の内容をご覧になり、今の日本人と比較していかがでしょうか?

現在は、週40時間(日当たり8時間)労働が基本で、上記のような働かせ方をした会社は労働基準法に違反することになりますね。働く側も「ブラック企業」と言って、すぐに逃げ出してしまうでしょう。

現在は大半の会社が土日と祝日休みですから、戦前、あるいは戦後の復興期を担った人達から見たら、「それでも仕事をしているのか」とでも言われてしまいそうですね。

常識的に考えていただきたいですが、昔と今と比較して、「自助」「自立」「勤勉」という道徳を、我々現世代は失っていないでしょうか?

例えば、給料の割に、やたらと残業が多かったり、ノルマがきつい会社に入ってしまったとして、「こんな給料じゃ馬鹿馬鹿しくてやってられない」「ブラック企業だ」と言って辞めてしまうのか、それとも、「仕事を覚えられて、おまけに給料までももらえて、ラッキー!」と思えるのか、職業観次第で、その人の人生は大きく変わるのではないでしょうか?

真の失業対策とは「どのような境遇でも食べていくことができるように自分で自分を磨くこと」であり、国(=他人の財布)による失業給付ではないと思いますが、いかがでしょうか?

三橋貴明や中野剛志の言うように、子孫の財布を使ってまでして、失業対策の公共事業をすれば、確かに、一時的には雇用は改善されるでしょう。しかし、永遠に続けることができない公共事業にばかり頼る人は、仕事がなくなった時、どうすればいいのでしょうか?

失業対策の公共事業(要するに市場の需要がないところに人工的に作った需要)を行ったところで、その10年先、20年先、どうすればいいのでしょうか?

勤勉性、自助の精神の復権といったことを訴えることなく、バラマキを訴えるというのは、国民から勤勉という道徳を奪い、国としての活力を失わしめることに繋がります。

これを「保守」と言うのでしょうか?


デフレなどという目先の現象は、「子供を産まない自由」「働かずに他人の財産を奪う自由」などといった不道徳(「道徳と一体の自由」とは正反対の概念)から来たものの現象面の話に過ぎないと思います。

必要なことは、「自助」「自立」「勤勉」などの道徳の復権運動と、その実践だと思いますが、いかがでしょうか?


明治時代、「西国立志編」として日本に紹介され、当時の日本の若者に広く読まれた、かの有名なサミュエル・スマイルズ著「自助論」より

『たとえば、歴史上の大きな戦役で名を残すのは将軍だけだ。しかし、実際には、無数の一兵卒の勇気あふれた英雄的な行動なしに勝利は勝ち取れなかったはずだ。人生もまた戦いに他ならない。そこでも無名の兵士が実に偉大な働きをしてきた。伝記に名を残した幸運な偉人と同じように、歴史から忘れ去られた多くの人物が文明と社会の進歩に多大な影響を与えている。
大切なのは一生懸命働いて節制に努め、人生の目的を真面目に追求していくことだ。それを身をもって周囲に示している者は多い。彼らは、地位や力がどんなに取るに足らないものだとしても、現代はもとより将来の繁栄に大きく寄与している。というのも彼らの生活や人生観は、意識するにしないに関わらず周りの人間の生活に浸透し、次代の理想的な人間像として広まっていくからだ』(S.スマイルズ著、竹内均訳「自助論」三笠書房、15頁~16頁)

2012年4月1日日曜日

中野剛志亡国論 7 昭和天皇退位論とアジア諸国への謝罪

TPPや市場経済についてデマを流しまくり、日本国民の頭の中を真っ赤に染め上げようとしている中野剛志ですが、とんでもない発言をしていたので、ご紹介しましょう。

表現者vol.26(2009年9月号、112頁~115頁)より、一部引用
http://www.hatugenshajuku.net/
-----

我が国の国柄に合致した政教の関係を踏まえた場合、天皇は、大東亜戦争について、どのように身を処すべきだということになるであろうか。それについて、筆者が最も有力と考えうる選択肢は、政治学者の河原宏氏の議論である。河原氏は『日本人の「戦争」―― 古典と死生の間で』の中で、大東亜戦争に関し、昭和天皇に問えるのは政治的な責任ではなく、道義的な責任であるとした。その上で、同氏は、天皇が道義的責任を果たすための最善の方法は、退位し、出家することであったと主張したのである。
天皇が出家することのポイントの一つは、天皇が神道の最高神主の立場から一仏弟子の身に移ることで、神道という一民俗宗教の見地からではなく、仏教という世界宗教の視野から戦争を見直すというところにある、と河原氏は言う。
例えば、靖国神社は、天皇のために戦って死んだ者のみを祀る場であり、それゆえに、「靖国問題」あるいは「靖国問題の政治的利用の問題」を招いている。これに対し、仏教は、神道とは異なり、敵味方、国籍を超えて、すべての衆生を平等に見る理念をもっている。それゆえ、天皇は仏門に入り、すべての戦争犠牲者を哀れむことによって、敵味方の別なく、特にアジアの民衆の犠牲に対して、道義的に対応することができるのである。
すべての犠牲者を平等に哀れむという仏教の理念は、日本人にとっても身についたものである。しかも、我が国の歴史上、天皇が仏門に入ることは、なんら異例なことではない。
河原氏は、天皇の出家のイメージの例を、『太平記』の光巌院(北朝の天皇であったが、戦乱続きの世を嘆いて出家し、諸国を行脚)に見出している。
退位した天皇の出家は、我が国の歴史に沿う形式であり、そして仏教による敵味方の別なき供養は、我々の慣習に合致する。
それゆえに、出家による道義的責任への対応こそが、我が国の国柄にもっとも相応する責任の呆たし方であった。天皇は、国柄にあった身の処し方を自ら示すことで、敗戦という国家的危機にあって、国柄の所在を指し示し、国をまとめることができたはずであった。また、それが天皇の存在意義のはずであった。
天皇出家論を唱えた河原氏の主眼も、歴史と国柄を回復するという点にあった。
「敗戦と占領によって、日本人が唯々として、あるいは喜々として自らの歴史を破却したことは、その後の無責任状況到来の一因となっている。歴史を捨てて、人は道義の依るべき根抜を見うしなう。」
「道義的責任を没却した日本人の戦後姿勢は、まさに戦後史の内に明証されている。これこそが天皇の戦争責任だった。」(日本人の「戦争」―― 古典と死生の間で)

天皇は、人智を超えた危機にあっては、我が国の国柄を確認・回復するという使命を負った存在なのである。そして、そういう使命を課したのも、我が国の国柄であった。しかし、敗戦と占領という危機にあって、天皇はその本来の使命を果たさなかった。それゆえ、戦後、国柄は棄損されてしまった。
当然のことながら、国柄が定めた天皇の微妙な位置づけも忘れられ、不毛な戦争責任論が継続する事態を招いた。
河原氏が、本当に問うているのは、天皇の戦争責任ではない。むしろ戦後責任なのである。






-----
引用終わり


上記の中野の文章については、極左言論人も絶賛しています。
http://www2.ocn.ne.jp/~aozora/taiwa/node42.html

(注)この対談の中で出てくる人物
横田喜三郎・・・極度のマルキスト。法学者でありながら東京裁判を「国際法の革命」と絶賛。過激な皇室廃止論者。「(皇室の存在は)無知と奴隷的服従が日本の人民の自然な発達を阻止したために生じた奇形状態にすぎない」と発言(横田喜三郎 「天皇制」38頁)
奥平康弘・・・「九条の会」呼びかけ人。過激な皇室廃止論者。
南原繁・・・元東大総長。極左の大御所・丸山眞男の恩師。非武装中立論の本家本元。「ソ連に進駐してきて欲しい」「昭和天皇は退位すべき」と主張。



中野は先帝陛下に対して、敬語すら使いません。
上記の中野剛志の主張は、河原宏という極左学者の文章を引用しながら、回りくどく言っていますが、要するにこういうこと。


       ↓


①昭和天皇には大東亜戦争に関する道義的責任がある。




②昭和天皇は"道義的責任を取って退位し、出家すべきだった"



③大東亜戦争の犠牲になったアジアの民衆に対しても"道義的責任"を負うべき


この中野剛志の①~③には、私は次のように反論したい。

①『昭和天皇には大東亜戦争に関する道義的責任がある』
②『昭和天皇は"道義的責任を取って退位し、出家すべきだった"』

⇒中野は自分が昭和の御世に生まれ、昭和天皇の"ご聖断"により生を受けたにも関わらず、何を言っているのでしょうか?非国民とはこのような人物のためにある言葉です。

大東亜戦争の責任は、スターリンを頂点とするコミンテルン、日本国内に巣食っていた赤い軍人、赤い高級官僚、赤い政治家たちにあります。
昭和天皇は国家存亡の危機にあたり、祖国日本の救出を担われた、高貴かつ孤高の天皇陛下であられました。
偉そうに『出家せよ』とは言いますが、昭和21年から昭和29年まで続けられた全国行幸すら知らないのでしょうか?

また、明治憲法下の皇室典範、現行皇室典範においても退位の定めはありません。
⇒以前のブログでも述べましたが、「退位の自由」なるものを定めるのは、皇室典範の改悪であり、同時に「即位の自由」も定められれば、天皇位への即位辞退と次期皇太子候補の皇太子辞退を強制され、そこで我が国の皇統は終了します。まさに極左と中共、コリアン(特に北朝鮮)、ロシアの狙い通り。共産主義革命への最後にして最大・最強の砦である皇統の終了です。
(ご参考) 女性宮家の危険性が分からない民族系論者 #女性宮家
http://megu777.blogspot.jp/2012/03/blog-post_03.html


かつて日本を滅ぼそうとした者の血を引く志位和夫が率いる日本共産党と、民族系に巣食う赤い工作員は阿吽の呼吸で動きます。また、日本の大多数の民族派は反共イデオロギー、反全体主義イデオロギーに無関心であるため、容易に洗脳されます(稲田朋美も含む)。極左の手玉に取られているのが現状。




(新党日本HPより)
日の丸と赤旗がTPPで連帯する
http://www.nippon-dream.com/?p=6049




日本共産党・志位和夫委員長の伯父・志位正二(関東軍参謀⇒戦後、共産党員)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E4%BD%8D%E6%AD%A3%E4%BA%BA
1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。1948年11月、シベリアより復員。1950年6月、GHQの取調べを受ける。1953年11月、外務省アジア局調査員となる。
ユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安課に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた



日本共産党
・『現在ある日本の主な政党の中で、唯一戦前生まれの政党が日本共産党である。日本共産党が創立されたのは、1922年7月15日である。ロシア社会主義革命の指導者レーニンによってつくられたコミンテルン日本支部としての誕生であった。1961年に作られた綱領では、冒頭、次のように書かれていた。「日本共産党は、第一次世界大戦後における世界労働者階級の解放闘争のたかまりのなかで、十月社会主義大革命の影響のもとに、我が国の進歩と革命の伝統を受け継いで、1922年7月15日、日本労働者階級の前衛によって創立された」』(筆坂秀世「日本共産党」新潮新書27頁)
『コミンテルンと日本共産党の代表によってつくられた「二七年テーゼ」には、「労働者階級は、その最も先進的、革命的、意識的、組織的な部分たる共産党の指導下においてのみ、勝利を確保できる」「思想的に鍛錬された大衆的共産党なくしては、プロレタリア革命の勝利は不可能である、というレーニンのテーゼが絶対的に正しい」などと記されていた』(筆坂秀世「日本共産党」新潮新書36頁)



③『大東亜戦争の犠牲になったアジアの民衆に対しても"道義的責任"を負うべき』


⇒「アジアの民衆」で我が国に謝罪を求めてくるのは、具体的には、中国、北朝鮮、韓国のみ。
なぜ謝罪などせねばならないのでしょうか?
あえて我が国の先の大戦の対外的な問題点と課題を言えば、中共、北朝鮮などのアジアの赤化に協力してしまい、今も圧政下で苦しむチベットやウィグル、旧満州、北朝鮮の人達に対し、「責任」を果たすため、北朝鮮の体制崩壊、中国共産党の打倒こそすべきでしょう。

中野剛志の真意は
・「日米同盟潰し」
・「市場経済潰し」
・「大量の国債発行による子孫虐待」
・「TPPを妨害し、反米感情を煽り、結果として東アジア共同体への道筋をつけて中国共産党をアシスト」
・「日本の共産革命(⇒当然、皇統も断絶)」

だから、皇室への暴言や日中同盟の提唱、北朝鮮による拉致被害者への暴言を吐く西部邁の子分になるのでしょう。

エセ保守監視小屋 REVIVALシリーズ(西部邁と小林よしのりの暴言集)
http://megu777.blogspot.jp/search/label/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E9%82%81


『国柄が定めた天皇の微妙な位置づけも忘れられ、不毛な戦争責任論が継続する事態を招いた』という中野の発言についても、馬鹿丸出です。
"不毛な戦争責任論"を言っているのは、主に極左と反日外国勢力、そして日教組に洗脳された人達だけ。全く馬鹿げています。


中野は昭和天皇に"道義的責任""退位"を迫るのなら、自分自身の"道義的責任""退職""給与と留学費用等の国庫への返納"をすべきでしょう。

TPPでデマを流し続けた罪は万死に値する。
中野剛志、三橋貴明らは平成版・コミンテルン工作員


(ご参考)

中野剛志が『最も有力と考えうる選択肢は、政治学者の河原宏氏の議論』として引用している『日本人の「戦争」―― 古典と死生の間で』(河原宏著、ユビキタ・スタジオ)には、こんなことが書かれています(嘘と祖国日本に対する罵声の羅列)。思想的に親子の間柄だから、こんな本に感化されるのでしょう。普通の日本人なら、共感どころか吐き気がして全く読む気の失せるような内容です。

・『戦前の日本では皇室自体が巨大な資本家だった』(91頁)
・『外国人労働者・「従軍慰安婦」の強制連行問題、インドネシアの老人たちが提起している兵補の問題、香港における軍票の問題等々、戦争が遺し、現在にまで引きずる諸問題が山積していることは周知のところである』(136頁)
・『ここに当時、労務管理の側に立った日本民衆の戦争責任があるのは明らかであろう。それは、日本人の差別・優越意識と結合して、朝鮮人労働者に対してだけでなく、広くアジア各地で繰り広げられたことだったからである。あるいは、この優越感のみが、民衆の受益した戦時利得だったかも知れない』(170頁)
・『ソビエト解体後、アメリカのあるレストラン主は廃品となったソ連のレーニン像を買い込み、台座に「我ら勝てり」というプレートを嵌めて店頭に飾っている。いかにもアメリカ人らしい単純率直さだが、資本主義の勝利を誇る似たような議論はしばらくの間、日本でも横行したことがあり、嗤うわけにはいかない。しかし、イデオロギーのしがらみから解放されたレーニンを改めて思想として見直す時、その指摘の鋭さと価値は決してこのように単純なものではない』(210頁)


中野剛志・東谷暁・三橋貴明らが完全なデマを流布している
http://taste.sakura.ne.jp/static/farm/society/tpp_isd.html

TPPには反対しても日中韓FTAには沈黙する"TPP嘘つき四人組"
http://megu777.blogspot.jp/2012/03/tppftatpp.html

中野剛志亡国論 TPP反対屋の巧妙な手口・ダマしの数々
http://megu777.blogspot.jp/2012/02/tpp.html
http://megu777.blogspot.jp/2012/02/tpp_03.html
http://megu777.blogspot.jp/2012/02/tpp_10.html
http://megu777.blogspot.jp/2012/02/tpp_10.html
http://megu777.blogspot.jp/2012/02/tpp_13.html

右翼と左翼は同じ穴のムジナ
http://megu777.blogspot.jp/2011/07/blog-post_31.html


まだ中野の暴論(今はダンマリ)については、他にも重大な問題が潜んでいます。
中野剛志の思想本籍は解剖して晒しておく必要があるため、今後も重要テーマとして取り上げたいと思います。


『戦前の日本の軍部と右翼が、絶対に許すべからざる存在と考えたのは、むしろ「自由主義者」であって、必ずしも「社会主義者」ではない。社会主義は、ただ方向を誤っただけで、彼らの意図そのものは必ずしも誤りではないから、方向さえ変えさせれば、いわば転向さえすれば、有能な「国士」になると彼らは考えていた。従って、転向者の多くは軍部の世話で、「満鉄調査部」に勤めていたところで、それは必ずしも不思議ではない。だが、彼らは、自由主義者は、箸にも棒にもかからぬ存在と考えていた。この考え方は、青年将校などにも明確にあり、自由主義者とは「転向のさせようがない人間」いわば、彼らにとっては「救いがたい連中」だったわけである』(山本七平著「空気の研究」文春文庫、138頁)

『(第二次大戦までに)ドイツから自由主義的な要素をすべて駆逐してしまったのは、右翼と左翼の両陣営における反資本主義勢力の結合である』(ハイエク・隷従への道)


『市場による全ての個人を超えた非人格的規律によって支配される秩序を選ぶか、それとも少数の個人達の意思によって支配される道を選ぶか、その二者択一以外のどのような可能性も我々にはない。そして、市場による支配を破壊しようとしている人々は、意図しようがしまいが、少数者による支配の状況を創りだすのを手助けしているのである』(ハイエク・隷従への道)