「市場原理主義が~」「新自由主義が~」「グローバリズムが~」などと言って、資本主義を嫌悪する声ばかりを耳にすることが多いですが、そのようなことを連呼する連中に限って、ほとんど道徳について語らないし、語ったとしても言行不一致との印象を持っています。
市場という、非人格的規律・自生的秩序の否定をしたなら 、次に待ち受けるのは為政者による私有財産の強制的再分配、統制経済と全体主義です。
現民主党政権(=名前を変えた社民党、共産党)はもちろん、三橋貴明、中野剛志、西部邁らに共通して言えるのは、市場に対する誹謗中傷とデマの流布、そして自らの道徳については全く棚上げしていることでしょう。
私は資本主義、自由主義を擁護しますが、その「自由」の概念を、右(三橋、中野、西部)も、左(民主党、社民党、共産党)も、全く理解していないか、歪曲して流布しているのが現状です。
自由主義社会においての自由というのは、道徳と一体の自由であって、「無責任にやりたい放題の自由」「責任放棄の自由」「嘘を付く自由」などとは、全く正反対の概念です。
さて、ここで美徳、道徳といった言葉を使いましたが、過去の日本人の勤勉といった道徳について、簡単ではありますが、一部ご紹介したいと思います。
大正時代に生まれ、昭和の戦中、戦後も体験した山本七平氏の著書から引用させていただきます。
山本七平「日本資本主義の精神」(文春文庫)より引用
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Hさんは、すでに60歳の半ば、今は楽隠居の身分である。誠実な職人肌の人だが、普段は驚くほど無口で無愛想。
(中略)
氏は東京近県の貧農の出身である。そして小学校卒業前に銚子の傘屋に小僧にやられた。簡単にいえば「食えない農家」の「口減らし」であり、衣食住の最低の支給はされるとはいえ、年中無休の無賃労働にやられたわけである。
氏は実に忍耐強い人なのだが、やがて、その傘屋の扱いの過酷さに耐えかねて、出奔した。
(中略)
そして、全く事情を知らぬ東京をうろうろし、空腹と疲労で行き倒れになる寸前に、壁に張ってある小紙片が目についた。「小僧求む」--彼は夢中でそこへ飛び込んだ。そこが偶然に製本屋であり、その偶然が彼の生涯を決定した訳である。
そこは当時としては日本で一、二と言われた製本会社で、いわば業界の大手なのだが、昭和のはじめにおける「大手」がどのような実態であったのか、氏の話を少したどってみよう。
社屋は関東大震災後に立てられた木造の三階で、その三階が住み込みの小僧の居室、二回の一分には店主一家が済むという、文字通りの職住一体の「店舗付住宅」ならぬ「工場付、社宅付、住宅」なのである。就業時間は通常午前八時から午後八時まで、月に半分ほど夜業と深夜業があり、休日は一日、十五日の月二回であった。今では忘れられているが、昭和三十年ごろまでは、この伝統は残っていた。
(中略・・・Hさんはその後、手に職を付けて、その製本会社の下請け工場として独立した)
さて、これらの独立した下請け企業主の、いわば創業時代の「モーレツ」ぶりは、いまの人には想像もできないだろう。彼らは、文字どおり、社長、職人、小僧をかねて働きまくった。
だが、親会社の仕事は断続的であり、あるときには徹夜をしても追いつかないが、ないときには全くないのが普通である。そんなときには、当然、収入のあてがなくなる。T製函の社長Tさんは、若いころを回顧して言った。
「成功したと言っちゃ自慢になるけど、うまくいったやつとうまくいかなかったやつの違いは、仕事のないときを生かしたか殺したかの違いでね」と。
「どうやったんです?」
「うん、ある人から、無駄になると思って名刺を配れって言われたんだ。名刺百枚もって、次から次へとまわって歩くんだ・・・」
いわば「とびこみ」で注文をとりつつ、同時に商業的・営業的感覚を学べ、ということなのであろう。それでも、
「名刺を千枚もまきゃあ、必ず一軒や二軒はお客が取れるし、まじめにやれば以後は一生の付き合いだから安いものさ」であったという。
戦後の復興を担ったのはこういう人であった。彼らは丸焼け裸一貫になってもべつに驚かなかった。なにしろ一人で何もかもできたからである。
「ほかのことは何も知りませんがね。製本なら武芸百般、知らぬことはないす。革すきとノリ刷けとノリボンがありゃそれでじゅうぶんでさあ」
とHさんは言ったが、Tさんも同じことを言った。
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(引用終わり)
さて、上記の内容をご覧になり、今の日本人と比較していかがでしょうか?
現在は、週40時間(日当たり8時間)労働が基本で、上記のような働かせ方をした会社は労働基準法に違反することになりますね。働く側も「ブラック企業」と言って、すぐに逃げ出してしまうでしょう。
現在は大半の会社が土日と祝日休みですから、戦前、あるいは戦後の復興期を担った人達から見たら、「それでも仕事をしているのか」とでも言われてしまいそうですね。
常識的に考えていただきたいですが、昔と今と比較して、「自助」「自立」「勤勉」という道徳を、我々現世代は失っていないでしょうか?
例えば、給料の割に、やたらと残業が多かったり、ノルマがきつい会社に入ってしまったとして、「こんな給料じゃ馬鹿馬鹿しくてやってられない」「ブラック企業だ」と言って辞めてしまうのか、それとも、「仕事を覚えられて、おまけに給料までももらえて、ラッキー!」と思えるのか、職業観次第で、その人の人生は大きく変わるのではないでしょうか?
真の失業対策とは「どのような境遇でも食べていくことができるように自分で自分を磨くこと」であり、国(=他人の財布)による失業給付ではないと思いますが、いかがでしょうか?
三橋貴明や中野剛志の言うように、子孫の財布を使ってまでして、失業対策の公共事業をすれば、確かに、一時的には雇用は改善されるでしょう。しかし、永遠に続けることができない公共事業にばかり頼る人は、仕事がなくなった時、どうすればいいのでしょうか?
失業対策の公共事業(要するに市場の需要がないところに人工的に作った需要)を行ったところで、その10年先、20年先、どうすればいいのでしょうか?
勤勉性、自助の精神の復権といったことを訴えることなく、バラマキを訴えるというのは、国民から勤勉という道徳を奪い、国としての活力を失わしめることに繋がります。
これを「保守」と言うのでしょうか?
デフレなどという目先の現象は、「子供を産まない自由」「働かずに他人の財産を奪う自由」などといった不道徳(「道徳と一体の自由」とは正反対の概念)から来たものの現象面の話に過ぎないと思います。
必要なことは、「自助」「自立」「勤勉」などの道徳の復権運動と、その実践だと思いますが、いかがでしょうか?
明治時代、「西国立志編」として日本に紹介され、当時の日本の若者に広く読まれた、かの有名なサミュエル・スマイルズ著「自助論」より
『たとえば、歴史上の大きな戦役で名を残すのは将軍だけだ。しかし、実際には、無数の一兵卒の勇気あふれた英雄的な行動なしに勝利は勝ち取れなかったはずだ。人生もまた戦いに他ならない。そこでも無名の兵士が実に偉大な働きをしてきた。伝記に名を残した幸運な偉人と同じように、歴史から忘れ去られた多くの人物が文明と社会の進歩に多大な影響を与えている。
大切なのは一生懸命働いて節制に努め、人生の目的を真面目に追求していくことだ。それを身をもって周囲に示している者は多い。彼らは、地位や力がどんなに取るに足らないものだとしても、現代はもとより将来の繁栄に大きく寄与している。というのも彼らの生活や人生観は、意識するにしないに関わらず周りの人間の生活に浸透し、次代の理想的な人間像として広まっていくからだ』(S.スマイルズ著、竹内均訳「自助論」三笠書房、15頁~16頁)
>勤労の美徳というのは働くのを楽しむ等といった意味程度のもので、何も超長時間の労働をすることではないでしょう。働き過ぎれば誰でも嫌になってしまいます。
返信削除私は何でもかんでも長時間労働が良いと主張をしている訳ではありません。
ただ、質が低い労働なら(特に仕事を始めたばかりの頃)、当然、仕事の出来る人の何倍を仕事をしたり、学ばないと、その人個人にとっても仕事は身につかないと、経験的にも感じているから、その意味を含めて引用したつもりです。
タイやインドネシアの若者が、我々と同じ仕事を安い給料でするなら、企業は当然海外に出ていきます。だったら、ライバルである諸外国の労働者に負けないだけの価値を生み出さないと、当然市場から淘汰されます。
ここ20年ぐらいで、ものすごく労働時間が短くなってきて(祝日の増加、労働時間の「国の命令による」短縮化)、時間あたりの付加価値が変わらないなら、日本企業の競争力は落ちるのは当然な話です。
>江戸時代は今よりも労働時間が短かったと聞きます
「おしん」というドラマがありますが、あれは当時の農村では普通にあった話だったと渡部昇一教授が仰っていましたし、先日100歳で亡くなった親戚も同様のことを言っていました。
江戸時代の天下泰平だった時代はどうだかは知りませんが、明治~昭和初期の日本人は、少なくとも今の日本人よりは勤勉であったと思います。
>ゆとり教育についてはいかがでしょうか?
返信削除・1980年
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3659コマ。中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
・2011年
小学校の授業時数は5645コマ、中学校は3年間で3045コマ
普通に考えて、授業時間数減少⇒学力低下になりませんかね?
>実際は学力は低下していないそうですが。
出典を出してください。
私の友人が塾の講師をしていますが、学力の低下を嘆いています。
>それよりもこれだけ叩かれてることのほうがずっと問題ではないでしょうか。そちらのほうがずっと害毒が大きいのでは。
ゆとり教育で叩かれてるべきは若者ではなく、そのゆとり教育を推進してきた文部官僚(寺脇研ら)、政治家たちでしょう。
全共闘世代を中心とした赤い日本人に教育を破壊された若者こそ被害者だと思います。
西部邁一派は、税金の無駄食いをしている連中ばかりですね。
返信削除「カジノ経済」と言って資本主義を批判しながら、自分たちは無責任な言説を繰り返し、一般企業や労働者の納めた税金に寄生しています。
要は、他人の財布を税金で吸い上げて無駄食いするしかない社会の落ちこぼれですから、普通に働いて生計を立てている人、あるいは資産家の家に生まれた人を憎む卑屈な人間なのでしょうね。
>タイやインドネシアの若者が、我々と同じ仕事を安い給料でするなら、企業は当然海外に出ていきます。
返信削除これは一件単純なようで、自由の深い意味を含んでいますね。
個人に選択の自由(安くていいものが欲しい)があるように、企業にも選択の自由がある(安くて優秀な労働力が欲しい)。
どちらも自発的意志の元に行動した結果です。
カンボジアで作って日本で売るのはダメで、北海道で作って東京で売るのはいいのか。
日本の雇用が失われる?
しかし失業した当人にとってみれば、会社が地方に移って失業するのも、海外に移って失業するのも何の違いがあるのか。
グローバリズムのあまり日の当たらない正の側面に、南北格差の縮小があります。
三十年以上前は、アジアと言えば貧しい国々だったのが、今では世界の成長を牽引する地域になっています。
中野は「不景気の時は保護貿易」なんて得意気に言ってますが、その意味することは「途上国の人たちのクビを切れ」だと理解しているのでしょうか。
「企業の海外移転がデフレの原因」「だから止めさせればいい」と流れていくのは、素朴な統制経済です。
しかし、こういうことはつい時事話で言ってしまう。社会を統制したいという誘惑ですね。危ない危ない……
インテリに社会主義が多いのは、「馬鹿な他の連中を俺が教え諭す」という優越性を刺激するからでしょう。
たとえば、中野のような官僚の落ちこぼれだったり、三橋とその信者のネット右翼(負け組ゆえに歪んだ選民意識を抱く)だったり。
ハイエクの思想が深いなあと思うのは、「市場を支配出来るという考え」そのものを危険視し、強く糾弾していることです。
市場というのは、多数の人間が自由な意思決定を下した結果であり、それを支配・統制するというのは、なるほど自由への統制です。
中野三橋西部なんかは、右翼の社会主義者以外何者でもありませんので、自由主義掲げるのやめてくれます?
確かに、グローバリズムを批判する連中は、地方都市の産物を都会で売ることも否定しないと、筋が通らないですね。
返信削除結局、そういうことをしようとすると、為政者による居住の強制、労働の強制をしなければ成り立たなくなりますから、必然的に暴力による恐怖政治に至りますね。
私はお金さえあればダラダラしていたい人間だし、勉強も嫌いなのでゆとり教育は歓迎なのですがw
返信削除今回のHさんの話からは、人生の逆境に立たされた時の心構えを読み取りました。
人間、人生は順風満帆じゃありません。逆風が吹く時もある。
その時に、人のせい社会のせいにするのか、自分の中に原因を見つけて鍛え直すか、あるいはじっと逆境に耐え忍ぶ心を養うか。
経済が悪くなっても、儲ける方法はあるんですよ。
ユニクロや牛丼屋は停滞期だからこそ伸びていきました。
個人は、経済低迷に為す術がない?
証券口座を開いて、株の空売り、円買いをすれば簡単です。
〝世の中が悪い悪い〟とわめくなら、悪くなるという判断にカネを賭けてはいかがですか。
西部グループの連中は、「日本人の道徳がうんたら」と偉そうに言う前に、人のせい社会のせいにする人間ばかり生産していることを恥じるべきです。
>普通に考えて、授業時間数減少⇒学力低下になりませんかね?
返信削除普通に考えればそうですが、ゆとり教育よりも少ない授業数でも日本より学力が高い国(フィンランド)はありますし、スポーツでも、同じ練習を長期間いくら繰り返しても、ある一定量までは行くが、それ以上は行かないようで、更に能力を上げるためには他の練習法を試す必要があります。佐藤学氏も適切な勉強法で勉強することが大事であるというようなことを言っています。
こちら↓
http://www8.ocn.ne.jp/~tnk/manabi/siryou/gakuryoku20060529.htm
>出典を出してください。
こちらです↓
http://monmon99.blog.shinobi.jp/Entry/285/
>私の友人が塾の講師をしていますが、学力の低下を嘆いています。
むしろ現場の教師からはゆとり教育に対する批判は聞こえてこないという話もあります。チャンネル桜の討論会でも現場の教師の方は八木や義家(この人も一応現場の人だが)に対して懐疑的です。
1/3【討論!】戦後教育の行方-どうあるべきか?日本の教育[桜H24/3/3]
http://youtu.be/EOGioX1u_4E
http://youtu.be/v1g_Yx0vPWo
http://youtu.be/TdGhIaiGt_8
ネットを見れば大人達のマナーが異常に悪く、読解力もなく、まともに意志疎通すら困難です。子供より大人のほうが圧倒的に問題でしょう。これではいくら子供の教育をよくしても無駄です。日本を殺すのは大人達でしょう。大人の教育をどうするかということを考えなければならないのではないでしょうか。
ゆとり教育についてはいかがでしょうか?実際は学力は低下していないそうですが。それよりもこれだけ叩かれてることのほうがずっと問題ではないでしょうか。そちらのほうがずっと害毒が大きいのでは。
返信削除中川八洋先生も日本から勤労の美徳が失われたと言っておられましたが、勤労の美徳というのは働くのを楽しむ等といった意味程度のもので、何も超長時間の労働をすることではないでしょう。働き過ぎれば誰でも嫌になってしまいます。江戸時代は今よりも労働時間が短かったと聞きます。また効果があるとも限りません。現代スポーツや武道の世界では過度のハードトレーニングは無意味とされており、適度な練習と創意工夫が大事とされています。ゆとり教育でも学力は決して下がりませんでした。増税しすぎれば逆に税収は下がるともいいます。何事もやりすぎれば悪くなるのではないでしょうか。
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